無念の銅メダルでも、笑わない中村美里が最後に微笑んだワケ (3ページ目)

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji
  • photo by JMPA

 13年11月の講道館杯で再起し、優勝する。15年にはアスタナ世界選手権の代表となり、自身3度目の女王となった。リハビリの期間を除けば、この10年、中村は常に第一人者の座を守ってきた。

 今年4月の選抜体重別選手権では3試合すべて技によるポイントはなかったが、得意の足技やいなしが冴え渡り、相手をリズムに乗せない巧みな組手で「指導」を誘発した。そういう老獪さも、この4年で中村に加わった武器だった。

 3度目の五輪は、初戦となった2回戦、準々決勝と、落ち着いた組手で問題なく寝業で仕留めた。準決勝の相手は、中村が不在の間に世界女王となったマイリンダ・ケルメンディ(コソボ)。不思議なことにこれまで中村は対戦経験がなかった。2度の屈辱を味わった安のように、パワーに頼った柔道をしていることは戦前から分かっていたが、開始早々に奥襟を取られ、体勢を崩される。すぐさま中村に「指導」がわたる。

 これがこの試合のハイライトだった。残り3分以上の試合時間、中村は小内刈りや小外刈りといった足技を積極的に仕掛けたものの、ケルメンディを崩すことはできず、攻勢の印象を審判に与えることもできず、4分の試合時間の終了を告げる銅鑼(どら)が鳴った。

「力が強いのはわかっていたんですけど、思っていたより強かったというか......。襟や袖を切る力が強かったです。担ぎ技も練習してきて出してはいたんですけど、なかなか、かからなかったです」

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