【プロレス】「男と男の約束をしてくれ」。元番記者が語る長州力の素顔 (3ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva 原悦生●写真(長州)photo by Hara Essei

 そして7月、新日本復帰後の北海道遠征のときに約束は果たされた。夜、ホテルのバーに呼ばれて行くと、長州とマサ斎藤の間に座らされビールをガンガン飲まされた。その後、長州の部屋に通され、深夜にもかかわらず熱心に3時間くらいインタビューに応じてくれた。ただ、暑かったのか、長州は浴衣も着ずにスッポンポン、股間を枕で隠していた。せめてパンツは穿いてほしいなと思ったよ(笑)。

 私が89年暮れに『週刊ゴング』に移籍したとき、長州は新日本の現場責任者に就任していた。長州が行なった変革で特筆すべきは、マスコミを控室から締め出したこと。控室は選手の聖域であり、記者にウロウロされたくない、冬に控室で記者たちがストーブにあたってバカ話しているのを見ると腹が立つ、こっちは命がけでリングに上がっているんだと、よく言っていた。長州がそういう常識をつくり、ほかの団体もそれにならった。

 90年代の長州は、『闘魂三銃士』(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)を育てるなど現場責任者として新日本を隆盛に導く敏腕プロデューサーだった。武藤敬司が海外遠征から帰国したとき、「グレート・ムタはやらせない、あれは日本にはそぐわない」と言っていたが、ムタを見たいという声が高まると意外と早い段階でムタを登場させた。そういう頭の柔らかさもあった。

 95年10月のUWFインターナショナルとの全面対抗戦では、東京ドームに6万7000人の観客を動員するなど、この時代はやることすべてが成功していた。

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