【ボクシング】荷物番だった内山高志を変身させた「大学1年の夏」 (4ページ目)

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro

 内山がリングを使えたのは、全体練習が終わり、先輩たちが帰った後だった。内山以外にも居残り練習をする者はいたが、1年生部員のほとんどは足早に寮に帰っていった。当時、1年生は上級生の練習着を洗濯しなければならず、ひとり頭だいたい先輩3人分を担当した。しかし、寮には洗濯機が2台しかないため、争奪戦となる。並ぶのが遅ければ、順番が回ってくるのは深夜になってしまう。それでも、内山は練習を優先した。ただ、それは美談ではなく、それどころか、「一種の若気の至りです」と内山は、申しわけなさそうに言った。

「練習を終えて寮に戻り、こっそり回っている洗濯機を途中なのに止めて洗濯物を出して、自分のを先に洗っちゃうんです。『あれ? 俺の服、ビチョビチョなんだけど!』とか同級生が言うんですけど、しれっとしていました。思い出すと、本当にひどいですよね(苦笑)」

 大学のボクシング部の多くは、7月のリーグ戦でシーズンがひと区切り。拓大ボクシング部も夏は1ヶ月間、練習がオフになった。この期間、大学1年の夏こそが、内山にとって人生の岐路となった。他の部員が帰省し、夏を満喫する中、内山は母校・花咲徳栄高校の練習、合宿に毎日参加した。さらにプロのジムの門を叩き、スパーリングを行なった。

「高校の先輩に電話して、『先輩、時間空いてないですか?』って呼び出して、ミットを持ってもらったりしていましたね。今、思うと生意気なんですけど、それだけ一生懸命だったんでしょうね」

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