2015.03.04

【ボクシング】メイウェザー対パッキャオの「賞味期限」

  • 原 功●文 text by Hara Isao  photo by AFLO

 両者の対戦プランは、パッキャオがウェルター級進出を果たした2009年ごろから出始めたが、「浮上しては消滅」を繰り返してきた。メイウェザーのビジネスパートナーだったゴールデンボーイ・プロモーションズと、パッキャオがプロモート契約を交わしているトップランク社との不仲が最大の理由とされた。一度は対戦話が具体的に進んだこともあったが、このときはメイウェザーがパッキャオに厳密なドーピング検査を強要したことで頓挫した。

 対戦が実現しなかった理由は、それだけではない。当時、下の階級から上げてきたサウスポーのパッキャオは、体格で勝る猛者たちをバッタバッタとなぎ倒し、アメリカ全土で人気沸騰。課金システムのテレビ『ペイ・パー・ビュー(PPV)』の契約件数は、100万件超えが当たり前だった。2010年11月のアントニオ・マルガリート(メキシコ)戦は115万件、2011年5月のシェーン・モズリー(アメリカ)戦は130万件、2011年11月のファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)戦は140万件というデータが残っている。常にパッキャオには、15億円~20億円の報酬が保障されてきたのである。

 メイウェザーの場合は、さらに上を行っていた。2010年5月のシェーン・モズリー戦は140万件、2011年9月のビクター・オルティス(アメリカ)戦は125万件、2012年5月のミゲール・コット(プエルトリコ)戦では150万件という契約数を記録。オルティス戦は約40億円、コット戦では約45億円の報酬を得ている。つまり、両者とも単独で大きなビジネスが成立していたため、リスクを冒す必然性がなかったといえる。