【プロレス】佐々木健介インタビュー「最高の体をつくって復帰しますよ!」 (3ページ目)

  • 中込勇気●取材・文 text by Nakagome Yuki
  • 乾 晋也●撮影 photo by Inui Shinya

苦難の時代をともに闘った愛妻・北斗晶

――その全盛期のころ、健介さんは2002年に新日本を離脱し、長州力さんが旗揚げしたWJプロレスに移籍します。ところが、WJは放漫経営でやがて崩壊。健介さんは金銭トラブルやギャラ未払いに巻き込まれました。そのとき、奥さまの北斗晶さんは専業主婦で次男が生まれたばかり。佐々木家はかなり大変な状況だったんですよね?

佐々木 笑っちゃうくらい、我が家にお金がなくなったんで(苦笑)。フリーになったけどマネージャーを雇うお金もなく、夫婦で闘うしかなかったんですよ。天龍源一郎さんが電話してきてくれて「ちゃんとメシは食えてるのか? おまえが一番信頼しているのは誰なんだ? カミさんだろ。カミさんがマネージャーやるのがいちばんいいんだよ」と言ってくれてね。そこから夫婦で話し合い、木刀を持ってセコンドにつく「鬼嫁」キャラも誕生したんだけど、あのころは長男の手をひき次男をかかえて会場に入って試合やって帰ってという感じだったから。家族の闘いですよ。そんな苦しい時代をけっこう経験したからこそ、自分たちとしては「これで本当の夫婦になれた」と感じましたね。

――北斗さんとの出会いは、1995年の北朝鮮「平和の祭典」大会の打ち上げパーティーでしたね。

佐々木 北斗が取材で遅れてきたんですよ。誰かが「ここに座りなよ」って促して、となりの席に座った。なにげなくパッて見たときに「あ、俺の嫁さんになる」って思ったんです。「酔ってもないのになんで俺こんなこと思ってんだろ?」って不思議な感じだったんですよ。その後、日本に戻ってきてから「北斗晶って本名ですか?」とか自己紹介的な会話から始まって(笑)、そこから徐々にですね。

――運命を感じるエピソードですね。これまで忘れられない試合ベスト3といったら?

佐々木 足の負傷からの復帰戦となった馳浩戦(92年)、ホーク・ウォリアーと組んだヘルレイザーズのデビュー戦(92年)、それから小橋建太戦(2005年)ですかね。

――壮絶なチョップ合戦でプロレス大賞ベストバウトに輝いた小橋戦ですね。

佐々木 胸がミミズ腫れになって、皮膚が裂けていくんですよ。チョップで皮膚って裂けるんだなって初めて思いましたね(笑)。すごくキツくて苦しかったけど、こういう試合をやるとプロレスラーになってよかったって思いますよ。自分の体をさらけ出して相手の技を受けきるのがプロレス。だから、今はしっかり治して復帰のときには最高の体をつくり上げて出ていきますよ!


「笑っちゃうぐらい、我が家にお金がなくなった」と笑顔で当時を振り返る佐々木健介「笑っちゃうぐらい、我が家にお金がなくなった」と笑顔で当時を振り返る佐々木健介【profile】
佐々木健介(ささき けんすけ)
1966年生まれ。福岡県福岡市出身。85年、ジャパンプロレスに入門し、翌年、全日本プロレスでデビュー。87年に新日本プロレスに入団。97年にはG1クライマックス優勝、IWGPヘビー級王座、IWGPタッグ王座に戴冠しエースとして君臨。2003年にフリーとなり、以降、全日本の三冠ヘビー級王座、NOAHのGHCヘビー級王座に輝きメジャー団体の3大タイトルを制覇する快挙を成し遂げた。最新情報はコチラ


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