【柔道】平岡拓晃、北京の呪縛を解き放ち
病気の母に捧げた銀メダル

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa yuji
  • photo by JMPA

 全日本選抜体重別選手権を08年から5連覇し、国内に敵はいなかったものの、海外で勝てない。世界選手権などで決勝まで進出するものの、世界王者にあと一歩届かないのだ。シルバーコレクターは、柔道の世界では不名誉な称号でしかない。ロンドン代表に決定しても、柔道関係者からさほど評価を得られていないのは、誰より自覚していた。

 ロンドン五輪における初戦(2回戦)は、地元イギリスのマッケンジーだった。試合の直前、平岡は畳に背を向けていた。北京の試合会場を回顧し、もう一度北京の畳にあがろうとしていたのかもしれない。アウェーの雰囲気に包まれた試合は、パワーのある難敵を巴投げから背負い投げへの連続技で「一本」に仕留める。

 北京の呪縛から解き放たれた平岡に待っていたロンドンの試練は、準々決勝のミルー(フランス)戦だった。「指導2」のリードを許す絶体絶命のピンチから、残り7秒で小内刈り「有効」を奪い返し、ゴールデンスコアの末に判定で勝利した。

「準々決勝で一回死んだんだと思って、準決勝、決勝は開き直って自分が今まで練習してきたことを全部出し切ろうと思ったんですけど......」

 準決勝を快勝して臨んだ決勝――平岡はすくい投げを仕掛けたところに、巻き込み技を合わせられ、わずか41秒で勝負は決した。

「悔しいです。負けた瞬間は、何で(決勝になると)勝てないんだろうと思いました。金メダルを獲って、(翌日に戦う)海老沼匡にバトンタッチしたかった」

 北京の惨敗およびこの日の準々決勝と、二度も死の淵から這い上がった平岡は、銀メダルという「足跡」をロンドンに残した。金には届かなかったが、北京の時のように平岡を責める者はいないはずだ。

 試合後、母の雅子さんは、息子の銀メダルをたたえる言葉は選ばず、再び「申し訳ございませんでした」と頭を下げた。

「本人が金メダルだけを目指していましたから」

 ところが、表彰式を終えた平岡が母に向かって銀メダル掲げて見せると、これまで気丈に振る舞っていた母は初めて涙を落とした。

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