【視覚障害者柔道】パラリンピック切符を掴んだ広瀬誠。ライバルとともに歩んだ道 (2ページ目)

  • 瀬長あすか●文・取材 text by Senaga Asuka
  • 吉村もと●写真 text by Yoshimura Moto

「ずっと大きな存在だった」

 ふたりは、公式戦で二度対戦している。2009年の全日本選手権は、広瀬の判定勝ち。2010年の同大会は、藤本の一本勝ち。1勝1敗だったが、広瀬は挑戦者の気持ちでいた。

「選考会までの一年半は、藤本さんに勝つことだけを考えて練習しました」

 藤本の強みをつぶそうと対策を練った。背負い投げで一本を取ろうとする藤本に崩されないようディフェンス力を強化。重心を低くするために下半身のウエイトトレーニングを行ない、姿勢や釣り手への意識も高めた。

 視覚障害者柔道は、健常者の柔道とほとんど変わらないが、両者が互いに組んでから主審による「はじめ」が宣告され、ふたりが離れたときは試合開始の位置で組み直すルールがある。常に組んだ状態で行なうため、体力の消耗が激しい。運動量で藤本に勝る広瀬は、スタミナアップにも重点を置き、疲れた状態でも集中力を切らさないよう意識して乱取りに取り組んだ。

 3度目の対戦になると思われた2011年の全日本大会は、選考会に標準を合わせるために藤本が出場を見送った。意識し合うふたり。強化合宿にも顔を出さない藤本と、広瀬が一緒に乱取りを行なうこともなくなった。

 そして、迎えた決戦。先行したのは広瀬だった。得意の巴投げが決まって技あり。背負い投げを仕掛けて応戦する藤本に、練習してきた防御の姿勢を取る。残り10秒。体力の消耗が明らかな藤本に広瀬が仕掛けた。「残り時間が怖かった。強靭な精神力を持つ藤本さん相手に気を抜くことはできない。最後まで攻めることだけ考えていました」。すくい投げが決まり、合わせ技で一本。広瀬の勝利が決まった。

「よく研究されていたし、相手が強かった。悔しいけど、広瀬とはお互いを高め合ってきたから。感謝の気持ちでいっぱいです。まあ、ロンドンでは金メダルを取らないと許さないけど(笑)」。敗れた藤本は、広瀬と抱き合い、万感の思いを託した。

 目標にしてきた藤本を破ってロンドンパラリンピックの切符を掴んだ広瀬。偉大な先輩を前に少しためらいながらこう言った。

「ロンドンでは藤本さんのためにも結果を出したい」

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