【ボクシング】1年ぶりの勝利。長谷川穂積の「俺にしか紡げない物語」が始まった

  • 水野光博●文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • 矢野森智明●写真 photo by Yanomori Tomoaki

 しかし、昨年12月17日に予定されていた復帰戦のわずか2週間前、再び悲劇は起こる。スパーリングで右脇腹にパンチを浴び、痛みを感じた瞬間、「折れた」と長谷川は悟った。同時に思った。

「試合までに痛みはひくか?」

 だが、痛みのため日常生活すらままならない。ギリギリまで出場する道を模索するも、ケガから三日目の朝、試合決行を断念する。神戸市内の病院で検査すると、予想通り右第7肋骨が折れていた。

「誰が悪いんじゃない。ケガをした俺が悪い」

 ベルトではない、ファイトマネーでもない、地位でも栄誉でもなく、ただ自分は何者かを知るためだけにリングに立ちたいと願った。たったそれだけの望みが叶わなかった。

「答えが出ないまま終われない。必ずもう一度リングに立って確かめます」

 傷の癒えた今年1月、長谷川は練習を再開する。だが、再起戦が再び頂(いただき)を目指す第一歩ではないと言う。

「まず目の前の試合をすることだけ。その後のことは、なにも決めていません。『もう一度ベルトを目指す』と宣言しないボクサーの生き方に、自ら舞台を降りたと思う人もいるかもしれない。それでもいい。自分の進む道は、自分で決めます。勝敗やベルトは大事です。でも、人生それだけじゃ納得できないことがある。俺はボクシングが好きです。だから、自分のボクシング人生を満足して終わりたい。それだけです。自己満足に向かって進んでいくだけ。その道は、誰かが判断することじゃない。自分がそれでいいと思ったらそれでいい。人の意見なんてクソ食らえです。それが、俺が勝ったり負けたりして感じたことです。だから、次の試合が最後かもしれないし、最後ではないかもしれない」

 ただ同時に、骨折前は「次戦は、99.9%自分のためだけに戦う」と語っていた心境に変化が訪れていた。日々届くファンレター、街に出れば幾度となくかけられる暖かい声。

「俺を待っていてくれる人たちがいる」

 そして思い出すのが昨夏、ボランティアで2度訪ねた被災地のことだった。

「震災で家族や家を失ってしまった方々と比べたら、王座を失ったことなんて全然たいしたことじゃない。ただ、『今からがんばらなアカン』という意味においては一緒だと思う。大きなことは言えません。でも、俺がもう一度、挫折から栄光を掴んだら、再び世界王座に返り咲いたら、きっと何かが伝わる。俺は今、チャンピオンじゃない。でも、だからこそ見せられるものがある。『長谷川穂積が、今度はどんなストーリーを見せてくれんのか』って。チャンピオンから陥落して、母の死を乗り越えて勝った。また負けて、また勝つ。『頑張とったら、俺もそうなれるんかな』って思ってくれる人がいるはずだから。世界チャンピオンはたくさんいる。でも、俺には俺にしか紡げない物語がある」

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