【プロレス】櫻井康雄×流 智美「昭和のプロレスは立派な文化なんです!」 (2ページ目)

  • 中込勇気●取材・文 text by Nakagome Yuki
  • 本田雄士●写真 photo by Honda Takeshi

 テーズやカール・ゴッチの試合を見て、今のファンがどんな反応をするかすごく気になりますね。今の新日本プロレスの選手たちも、『燃えろ!新日本プロレス』に関心が高いそうです。実際、永田裕志選手らトップレスラーの何人かは毎号見ているという話もうかがいました。今の新日本を刺激するという意味でも素晴らしいことですね。

櫻井 若いレスラーたちには、これを見てもう一度「プロレスとは何か」ということを発見してもらいたいですね。懐かしいというだけじゃなくてね。僕は昭和のプロレスは立派な文化だと考えているんです。いかに多くの人の魂に影響を与えてきたかという。

 まさに『燃えろ!新日本プロレス』が書店でほかの分冊百科シリーズと並んでいるところを見ると、プロレスが文化であることの証明だと思いますね。私も人生でプロレスから学ぶことは多かったです。それこそ櫻井さんのお書きになった本もよかった。

櫻井 手前味噌になってしまうけど、猪木の自伝『燃えよ闘魂』(東京スポーツ新聞社)、これは私がゴーストライターをやったんです。あの本を読んでファンになった人も多いし、猪木をカリスマ化したひとつの要因だったと思います。猪木という若者はどういう環境で育って、どういう人生観を持っているのかを描きたかったんです。電気もトイレもなく、板敷きの部屋で寝ていたというブラジル移住時代から、どう頑張ってきたかというね。猪木はよく、「なんでも世界一になれ、乞食でもいいから世界一になれ」と言っていましたが、これは彼の亡くなったおじいさんの遺言でね。そういったことがファンに影響を与えたんです。

国家吹奏を初めてやった「世界最強タッグ戦」

――では、流さんにとっての猪木のベストバウトをいくつか挙げると?

 やはりテーズ戦がナンバーワンですね。当時、僕は高校3年で、実家の水戸から常磐線で2時間半かけて蔵前まで観に行きましたよ。ロッカが黄色いポロシャツを着て試合を裁いて...夢のような空間だったし、当時59歳のテーズがあれだけの強さを見せたことに驚いた。次は75年12月11日、蔵前国技館の猪木vsビル・ロビンソンの60分フルタイムドロー(15号収録予定)。あとは猪木、坂口征二vsテーズ、ゴッチの「世界最強タッグ戦」(73年10月13日、蔵前国技館=17号収録予定)を挙げたいですね。

櫻井 73年春に坂口が日本プロレスから新日本に移籍して猪木との黄金タッグが復活したわけですが、当時、それに見合う対戦相手がいなかったんです。そこで「テーズとゴッチではどうか」と私が新日本の会議で提案したんですよ。最初は「すごい金がかかるし、そんなのムリだ」とひと言で片付けられたのですが、私が東スポ(東京スポーツ新聞社)の社長に話をして、結局東スポが金を出すことで実現したんです。東スポとしてはプロレスの復興に社運をかけたわけですよ。当時は団体が乱立して業界全体の人気が低迷し『ワールドプロレスリング』の視聴率も伸び悩んでいたという状況でしたからね。

 あれが新日本プロレス最初のビッグマッチでしたもんね。

櫻井 この試合はプロレスで初めて国歌吹奏、国旗掲揚をやったんです。陸上自衛隊の音楽隊を呼んでね。テーズとゴッチが星条旗をまっすぐ見上げていて、それだけでシビレました。ほかにオススメの試合というと、欧州遠征での猪木vsローラン・ボック(78年11月25日、ドイツ・シュツットガルト=27号収録予定)、これは猪木にとってはイメージの悪い試合ですが、歴史的な試合ですよ。

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