【ハイキュー‼×SVリーグ】広島サンダーズの川口柊人は音駒のクロの教えも参考に「積極的に」プレーする
広島サンダーズ 川口柊人
(連載16:広島サンダーズのフェリペ・モレイラ・ロケは日向翔陽に勇気をもらい、ブラジル代表でも活躍>>)
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「お前、眠そうにしてんな。やる気あんの?」
そんな言い方をされることがあるという。無気力ではないが、熱血タイプでもない。怒って否定することを「面倒臭い」と思ってしまうし、「自分はこういう人間で、意思表示は苦手」と割り切っている。それで誤解が生じることもある。
しかし、彼には彼なりのバレーボールの愛し方があるのだ。
埼玉県出身の川口柊人は、小学3年でバレーと出会っている。東京体育館で行なわれた、北京五輪の最終予選の日本vsアルゼンチンを見に行った。
「『行きたい』と言い出したのは僕でした」
川口は、そう言って表情を崩す。笑うと急に人懐こくなる。
「自分からやりたい、こうしたい、をあまり言わない子どもだったので、両親もびっくりしたみたいです。スポーツはあまり興味がなく、野球も面白くなくてやめてしまったし。バレーは男女の代表の試合をテレビで見て、興味を持っていました。それで家族で試合を見に行き、目の前で五輪出場の切符を取る瞬間を見られて......ブロック、スパイクは迫力がありました」
当時から学年で一番、背は高かった。実際に試合を見て、「バレーは大きい人がやるスポーツ。自分にもダイナミックさが出せる」と思ったという。
しかし小学校時代は5年生の時、一度バスケに転向している。そこで「チーム内の人間関係」に悩むことになった。
「しんどくて笑わなくなったし、親も『見ているのも苦しいから、一回、離れたら』と言われました」
ただ、バスケチームが消滅したことで、6年生の時にはバレーに戻った。
進学した中学校までは徒歩で40分以上かかったが、バレー部がある学校がそこしかなかった。そこまでバレーに賭けていた。ただ、未経験者が多く、"勝つためには自分がやらなくちゃ"と気負った。
「勝手に背負い込んでいたものがあったと思います」
川口はそう当時を振り返る。自分をごまかせない性分だ。
「中3で県選抜に選ばれました。そこでは、自分はそこまで目立つ選手ではなかった。身長は高いけど、ジャンプ力もあるわけでないし、レシーブもうまくない。だけど、出場した時はみんなで勝ちを喜んで、次もどうやって勝っていくか、という経験が楽しくて。『一体感っていいな』と思えるようになったんです」
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。