高校最後の国体を制覇→全日本へ。大林素子が驚いた名将のデータバレーと、いつもどおりプレーするための秘策 (3ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

「データバレー」と緊張感が続く練習

――日立を率いた山田監督は、現在のように分析ソフトがないなかでも「データバレー」をされていたそうですね。

「今でこそ『データバレー』というと、女子バレー日本代表の監督に再任した眞鍋政義さん(2012年ロンドン五輪で銅メダルを獲得)の印象が強いですが、『データバレー』を始めたのは山田先生だと思います。当時はノートパソコンもありませんから、試合を記録しているVHSや8ミリビデオの映像をテレビの画面で流し、ひとコマずつ止めながら、用紙にデータを書き込んでいきました。スパイクのコース、フォーム、助走の入り方、トスの長さ、高さといったことを全部手書きで。

 控えの選手やスタッフも含めて徹夜して分析しましたね。1988年のソウル五輪の時にも、日立の全選手とコーチ全員が、分析、練習要員として帯同しています。そうして集めた緻密なデータを基に相手を研究したり、自分たちのプレーの振り返りをしたり。

 練習では、『この選手はこのコースに打ってくる』とコートに付箋を貼るなど、いろんな方法を実践しました。山田先生のアイディアは、本当に誰も考えつかないようなものばかり。そんな才能あふれる方だったからこそ、国際大会で多くの金メダルを獲得できたんだと思います」

――山田監督は全日本女子の指揮も執っていましたね。

「今では、休みとトレーニングのバランスやタイミングもしっかり計算したうえで体作りをするのが当たり前です。でも、当時は何日トレーニングして、何日休んだら効率的に疲労を回復できるかという理論も確立されていませんでしたから、ほぼ毎日練習していました。外泊ができるようなお休みは5月の黒鷲旗大会が終わってからの4、5日のみでしたね」

――具体的なメニューを覚えていますか?

「一例ですが、朝6時50分から朝練で、レギュラーの6人は体育館でサーブを100本打ったあとに、サーブレシーブをやります。セッターの位置にかごを置いて、2本連続でボールをそこに入れる。ひとつのローテで全員が2本連続で成功したら1ローテ回る、という形で、それが5周成功するまで朝練は終わりません。

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