女子バレーボール東京五輪主将・荒木絵里香の引退の真相。「もうこれ以上うまくなるのは難しい」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by アフロスポーツ

 荒木さんのようにチームから積極的なサポートの申し出を受けられる選手は、ごくわすかだ。やはり結婚、出産を経て、競技をやめていく選手が多い。十分なサポートを得られず、やめていかざるをえないケースが多いと言ったほうがいいだろう。

「女性アスリートといってもいろんな競技の方がいますし、求めるものも違うと思うんです。たとえば私の場合は、母がフルサポートしてくれたので遠征など行く際、非常に助かったのですが、旦那さん以外の身内のサポートがない場合はベビーシッターとか、そういうものも必要になってくると思うんです。その人に合ったフォローやサポートがあるとうれしいですし、そういうものがこれから充実していけば、お母さんになって競技を続けるという選択肢も増えると思います」

 荒木さんは、そういうサポートを受けるには、選手の側にも一定の基準が必要になるのではないかと考えている。

「今は、まだ、誰もがそういうサポートを受けられる状態ではないと思いますし、そもそもサポートしてもらえるレベルの選手じゃなければいけないかなって思います。サポートばかりを求めてはいけないと思いますし、それを求めるなら、そうしてもらえる自分にならなければならないというのが大前提としてある気がします」

 荒木さんは、イタリアリーグでのプレー経験があり、海外でのママさんアスリートへのサポートも見てきているが、日本とはちょっと様子が違うようだ。

「海外は、ボーイフレンドの段階からかなりオープンなつき合いをしていますし、結婚、出産も特別なことのような感じがしません。子どもができても海外はベビーシッターの文化が根づいていますし、わりと旦那さんが協力的なので、そこは日本とは違うところですね」

 荒木家では絵里香さんの母のフルサポートが命綱になっていた。出産を計画する際、「子どもの面倒を見てほしい」とお願いした。その時は、母はフルタイムで仕事をしていたが、子どもが生まれると仕事をやめ、フルサポートをしてくれた。

「母は、大変だったと思います。私の場合、数時間見てもらうとかのレベルではなくて、海外遠征とかで数か月単位で家には不在でしたからね。ですから、娘とバーバ(母)とは、すごく距離が近いんです(笑)。娘はバレーボールが大嫌いなんですよ。バレーは、ママを奪う敵なので(苦笑)。バレーに行く時は、行かせまいとしてあの手この手を使ってくるんです。でも、行かないといけないので、こっちが泣きそうになっていましたね」

 何回か、そういうことを繰り返していると、娘は「泣こうが叫ぼうが、ママはバレーに行ってしまう」と悟り、諦めの境地になっていたそうだ。

 出産は大変だが、出産してから現場に復帰するのも非常に大変だ。妊娠し、出産まで10か月以上、激しく体を動かすことはできない。その結果、それまで培われた筋肉はもちろん、アスリートして不可欠なものがどんどん削がれていく。

「私は、1月に出産して5月にチームに合流したんですが、最初は何もできず、プレーできる状態じゃなかったです。ゼロどころじゃない、マイナスからのスタートでした」

 走れない、飛べない、バレーボールというよりも基礎運動能力の部分でのマイナスだった。いざコートに入って実戦的な練習になっても体が思うように動かず、反応も遅れた。

「もう、もどかしさしかなかったです。でも、続けていくとできることが増えていくので、伸びしろがすごいんですよ。それが新鮮で、楽しかったですね」

 荒木さんは、笑顔でそう語るが、アスリートの動きと感覚を取り戻すには、それなりの時間が必要だった。公式戦のコートに戻ってきたのは11月。5か月という時間が選手としての自分を取り戻すために必要だったのだ。
 
 荒木さんは、今年9月に現役引退を発表した。

 東京五輪が終わり、ひと区切りついたなかでの引退というのが世間的な理由としてとらえられていたが、一番大きかったのはそれではなかった。

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