「なんで今なんだろう」五輪前に気持ちがどん底まで落ちた佐藤美弥。今も悔やむ中田ジャパンで「疑問を残したまま」のこと (2ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 坂本清●撮影 photo by Sakamoto Kiyoshi

 中田監督の戦術といえば「ワンフレームバレー」。サーブレシーブなどセッターへの1本目のパスから、トス、スパイクまでの速さを重視した。佐藤は日立でも、松田明彦監督のもとで"速いバレー"を実践していたが、それとはまた別のバレーだった。

「松田さんのもとでやっていたのは、1本目をゆっくりにしてもらって、セッターの私のところから速く捌くものでした。対してワンフレームバレーは、相手だけじゃなく自分たちの準備の時間も短くなって、間の作り方も違う。『本当にこれでいいのかな』と少し疑問に思いながらプレーしてしまっていた時期もありました。

 戦術自体に疑問があったわけではありませんし、久美さんともすごく戦術の話もしていました。ただ、それを完成させるのに必死で、疑問を残したままにしてしまって『突き詰められなかったな』と思います」

 中田ジャパンでは正セッターがなかなか固定されなかった。佐藤も、ケガの影響もあってその座を掴めずにいたが、2019年のW杯では大会を通して正セッターとして活躍した。

「(中田久美体制になって)代表に呼ばれた2017年から、日立では松田さんから甲斐祐之さんに監督が変わって、私は大きいケガを繰り返すようになるなど、さまざまな変化がありました。W杯でチャンスをいただけたことは感謝しかありませんが、同時に不安もすごくありました。

 オリンピックの前年の大会では、結果を出さないと最終メンバーに残れない。そういう自覚を持ってプレーしないといけないのに、大会前の練習ではあまり納得がいくプレーができないなど、『自分がやりたいバレーができない』と葛藤していました。W杯期間中も苦しかったですが、久美さんは一緒になって考えてくれました。映像を見ながら意見を交換するなどして、精神的に背中を押してもらっていたような感じです」

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