2021.10.14

狩野舞子が語るケガとのつき合い方。無理をしてプレーを続けることを「美談にしてはいけない」

  • text by Sportiva

――しかし、復帰後すぐに右膝の半月板を損傷。それも治った2010年1月には左足のアキレス腱も切ってしまいます。その時に"心が折れる"ことはなかったのでしょうか。

「右足のアキレス腱を断裂した時はリハビリが大変で、1年くらいプレーの感覚が戻らず、『反対も切ったら引退かな』と思っていました。それで、ロンドン五輪まであと2年というところで左足のアキレス腱を切った瞬間はさすがに『まずい』と思いました。

 でも、すぐに『右足のほうを切った時も復帰できたし、今回だって大丈夫じゃないか』と思うようになり、『このままじゃやめられない、意地でも復帰してやる』という気持ちのほうが強くなっていきました。当時、久光を指揮していた眞鍋政義監督(元女子バレー日本代表監督)には、『2年前でよかったな』と言っていただき、今できることをやろうというマインドにしてもらえました」

――その後、2015年に一度現役を引退しますが、体の状態を万全にしたいといった考えからですか?

「いえ、その時は本当に引退しようと考えていました。2012年からセッターに取り組み、周囲の期待に応えたいのに結果が伴わず......。セッター転向は自分で決めたことですし、『それを投げ出してしまうのはどうなのか』という迷いもありましたが、バレーを嫌いになってやめたくないという気持ちを優先しました。

 引退のあとにも試合を見に行ったり、バレーが好きなことは変わりませんでした。その間に『私は中途半端にやめてしまったのかな』という思いが芽生え始めて、運よくPFUブルーキャッツから声をかけていただいたこともあり、『最後は自分のために、またスパイカーとして頑張りたい』と復帰を決めました」