木村沙織は高校生で代表デビュー。アイドル的な人気爆発に「違和感があった」出来事 (2ページ目)

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下北沢成徳時代もエースとして活躍 photo by Sakamoto Kiyoshi下北沢成徳時代もエースとして活躍 photo by Sakamoto Kiyoshiこの記事に関連する写真を見る――複雑な乙女心ですね(笑)。下北沢成徳高校では多くのタイトルを手にしましたが、どんな練習が印象に残っていますか?

「当時の成徳には中学校にもバレー部があって、高校生と一緒に練習していました。ボールは5号球、ネットも高校の試合と同じ高さでしたね。その6年間で技術なども高められたんですが、もっとも鍛えられたのは自主性です。

 うまくなるためにどんな練習が必要なのか。試合で課題が見つかったから、明日は何時から朝練をしようか。そういった計画を、自分で立てられるようにするのがバレー部の指導方針でしたからね。誰かに言われてからやるのではなく、自分で考えて動くという能力は、選手としてすごく大事だと思います」

――1年生から試合に出始めて、2003年の春高バレー(当時は3月開催)で優勝。2年生になってからの同年8月のインターハイは3位でしたが、大会終了後にシニアの日本代表に初招集されます。その時はどんな気持ちでしたか?

「北海道の芦別市で合宿していたチームに合流したんですが、テレビでプレーを見ていた方たちを目の前に『うわぁ』となっていて、ただのファン状態でした。サインもしてもらいましたよ(笑)。一緒に練習できることはうれしかったのですが、それ以降も日本代表に呼ばれるとは思っていなかったので、『こんな機会はもうないだろうから、いろいろ吸収して帰ろう』と思っていました」

――9月のアジア選手権で代表デビューし、11月のW杯にも出場。国際舞台で緊張などはしませんでしたか?

「先輩たちの背中を必死に追いかけていて、あまりプレッシャーは感じていなかったと思います。その頃は、W杯が3大大会(W杯、世界選手権、オリンピック)のひとつだといった、大会の大きさや重要さがあまりわかっていなかったのですが、それもプラスに働いたのかもしれません(笑)」

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