2021.07.24

女子バレー岩坂名奈が思い出す中田久美監督の言葉。「あのプレー、何を考えていたの?」

  • Text by Sportiva

――岩坂さんが進学したのは、全国屈指の大分県の強豪、東九州龍谷高校でしたね。

「新たにたくさんのことを教えてもらって、それができていく達成感がありました。初めての全国大会が1年生の時の春高バレー(2007年)だったんですが、体育館の大きさや観客の多さなどに驚いてばかり。先輩についていくだけで精一杯という感じでしたが、チームは準優勝。翌年の春高バレーと、3年時のインターハイも優勝することができて、最後の国体が準優勝でした」

今年4月に引退を発表した岩坂 photo by Kimura Masashi今年4月に引退を発表した岩坂 photo by Kimura Masashi この記事に関連する写真を見る ――華々しい成績を残しましたが、強豪校だと、練習も厳しかったんじゃないですか?

「今は変わったかもしれませんが、バレー部の練習時間は短くて、そこでいかに集中するかを重視していました。もちろん体力的に厳しい時もありましたけど、私自身は新しいことができていくこと、バレーの新しい楽しみ方を知れたうれしさのほうが大きかったです。今振り返ればいい思い出だった......ということなのかもしれませんけどね(笑)。もし、『もう一度、当時と同じ練習をしてください』と言われたら断ると思います」

――ユース代表やジュニア代表にも選ばれ、世界大会での優勝も経験。それを経た2009年 に久光に入りますが、入団の決め手は?

「当時の部長と副部長に声をかけていただいて、高校の監督とも相談して入団を決めました。そこで理沙と同じチームになって、『縁があるな』と思いましたよ。高卒で入団した選手は2人だけでしたから、『一緒に頑張っていこうね』と話したのを覚えています」

――同年には、18歳で日本代表メンバーに登録され、2011年のW杯では第2戦以降フル出場の大活躍。ベストサーバー部門2位、ベストブロッカー部門5位に輝き、新鍋さんと共にチーム最年少の「リサ・ナナ」コンビとして大きな注目を集めましたね。

「代表に呼ばれたばかりの時は、テレビで見ていた人たちと一緒にプレーできるうれしさと緊張が入り混じっていました。アンダーカテゴリーの代表とは違って、さまざまな世代の選手がいたので、理沙が一緒だったのは本当に心強かったです。

 2011年のW杯は、自分が持っているものをすべて出すことだけを考えて、がむしゃらにプレーしていました。その大会のおかげで、より多くの人に認識してもらえるようになったことを実感しましたし、もっと頑張らないといけないとも思いました」