江畑幸子が復帰を目指すも引退を決断したリアルな経緯。最後の練習では涙をこらえきれなかった (3ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari

「もともと海外に挑戦したいという思いはありました。私の前に、狩野舞子さん、木村沙織さんも海外に行っていて、いろんな話も聞いていましたから。フランスのチームを選んだ理由は......オファーをいただいた中で、一番私を必要としてくれていることを感じたチームだったからです」

 江畑が加入したのは、ロンドン五輪メンバーのリベロ、佐野優子もプレーした強豪・RCカンヌ。チーム内の競争、世界のトッププレーヤーたちとの対決でステップアップを遂げた。

「フランスのリーグでプレーする選手は身長が高く、パワーもすごかった。Vリーグではブロックの上から決められることも多かったんですが、フランスでは毎試合、『あのブロック相手に決めるためにはどうしたらいいか』を考えていました。スパイクを止められることも多かったですけど、その分、パワーや技術が上がったと思います」

 そうしてチームのリーグ優勝に貢献したあとの2015年6月、江畑の日本復帰が発表された。直前のモントルーバレーマスターズの決勝で、右アキレス腱を部分断裂する大ケガを負ったが、江畑には古巣の日立など1部リーグのチームからもオファーが届いていた。

 翌年にリオ五輪を控えていることを考えれば、リハビリ後に1部リーグでいち早くアピールをしたいところ。しかし江畑は、2部リーグのPFUブルーキャッツに移籍した。

「決断をするまでにすごく悩みました。でも、当時のPFUの試合を見た時に1部昇格に向けて一丸になっているのを感じましたし、『このチームを昇格させられるのは私しかいない』という気持ちになったんです」

PFUブルーキャッツ時代の江畑 photo by Sakamoto KiyoshiPFUブルーキャッツ時代の江畑 photo by Sakamoto Kiyoshiこの記事に関連する写真を見る リハビリを終えた江畑は翌年1月に復帰。新たな力を得たPFUは2部リーグ準優勝で入れ替え戦に臨むことになった。その相手は、奇しくも日立時代の入れ替え戦と同じデンソーだった。

「その入れ替え戦は、日立で昇格を決めた時とは違って、試合直前まで『絶対に勝てるわけがない』と弱気になっていました。当時の日立には日本代表クラスの選手が揃っていたので、それに比べるとPFUは少し厳しいかなという印象だったんです。チームの力もデンソーさんのほうが上だったと思います。

 とりあえず、できるところまで頑張ろうと思って臨んだ1日目、私はまた『当たりの日』で、セットカウント3-0で"勝っちゃった"んですよ。すべてのトスが自分の理想のところにきて、スパイクも全部決まるという感覚でした」

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