女子バレー江畑幸子が語る、セッター佐藤美弥との秘話。よく対戦した小中時代、同じ学校に通った高校時代

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari

 クラブチームは県で2番目の強豪になったが、中学進学の際に江畑は「すごく重要だった選択」をする。地元の公立中学校には、県で3番目に強いチームがある近隣の小学校の生徒も通うことになっていた。そのチームには、幼稚園が一緒で、のちに日本代表のセッターとして活躍する佐藤美弥がいたため、そのまま進学していたら中学で"代表コンビ"のプレーが見られたかもしれない。

当時を振り返る江畑 photo by Matsunaga Koki当時を振り返る江畑 photo by Matsunaga Kokiこの記事に関連する写真を見る しかし江畑は、私立の聖霊女子短大付属中から誘いを受けていた。江畑が小学6年生の時、同中学校のバレー部には2年生がおらず、1年生も5人くらいでチームが作れない状況だった。両親からは地元の公立中学校に行くことを勧められたが、江畑は首を振った。

「私は、どうしても聖霊女子短大付属中に行きたかったんです。そのバレー部のコーチについて、周囲から『その人に教えてもらったら、すごくうまくなる』という話を聞いていたんですよ。実際に、私が『すごい』と思って見ていた中学生や高校生の多くがそのコーチに指導を受けていて、『私もその人に教えてもらいたい』という思いが強くなりました。両親に食い下がって、『そこまで言うんだったらいいよ』と許してもらったんです」

 そうして進学した聖霊女子短大付属中のバレー部にはその監督もいたが、メインの指導はコーチが行なっていた。江畑は「スパイクのフォーム、助走、レシーブといったすべてを、そのコーチに教えてもらった」と振り返る。

「小学校の時はあまりレシーブをしていなかったので、1年生の頃はとにかく苦手でした。最初の何カ月かは目をつぶってもらっていたんですが、やはり『どれだけ点を取っても、レシーブでミスをしていたら全然チームのプラスにならない』となって。そこから、初めて本格的にレシーブを教えてもらいました。形になるまで、先輩たちにもたくさん迷惑をかけましたね(笑)」

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