五輪出場を逃し、猛バッシング。引退を決意した竹下佳江を救った中田久美からの電話 (4ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari

「五輪出場を逃した屈辱は、五輪に出ることでしか晴らせない。そういう思いがありました。初戦のイタリア戦は、振り返ると不思議な試合でしたね。時間が止まっているように感じられるというか、相手のブロックが全部見えましたし、どんな攻撃を仕掛けてくるのかもすべてわかったし、レシーブも全部拾える感覚でした。でも、実際にどんなプレーをしていたのかは覚えていなくて、あとからビデオを見て確認しました。

 出場を決めた韓国戦の最後もそうです。24点目はユウ(大友愛)に上げて決めてくれたことは覚えてるかな。そこで『あと1点でこの4年間が終わる』と思ったら、鳥肌が立ってしまって涙が出てきて......。トモさん(吉原知子)が『攻めるよ!』と言っていたこともかすかに覚えていますが、どうやって最後の1点を取ったのか(最後は佐々木みきのサービスエース)、まったく記憶にないんです」

 アテネ五輪本番は5位で終え、柳本晶一監督が続けて指揮を執ることになった。竹下は翌2005年にチームのキャプテンに任命されたが、筆者はその後の練習や試合を取材する中で、竹下が"肩ひじ張っている"ように感じた。

「あの時は先輩、シン(高橋みゆき)など年齢が近い後輩、もっと若いメグ(栗原恵)とかもいましたが、少し"緩い感じ"があったのが許せない気持ちがありました。最終予選での敗退を経験していますし、どれだけ頑張らないとオリンピックに辿り着けないか、わかっていたので」

 代表を率いる際に支えになった選手として、竹下は2人の名前を挙げた。

 そのひとりは、ひとつ上の先輩だった大村加奈子だ。1994年からVリーグでプレーしていた技術が高いミドルブロッカーで、アテネ五輪にも出場。その後、2年間代表から離れたが、2007年に復帰して北京五輪メンバーに選ばれた。竹下は大村のことを「チームのバランスを取る方。いろんな話を聞いてもらった」と振り返り、「絶対に代表メンバーに必要でした」と話した。

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