五輪出場を逃し、猛バッシング。引退を決意した竹下佳江を救った中田久美からの電話 (3ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari

 人間不信に陥った竹下は、2002年にひとつの決断を下した。

「4月にNECを退社しました。当時は移籍リストとかもないですし、移籍によって深刻な問題が起きることが多かったので、"タブー"と言われていた時代だったんです。だから、NECを退社するということは、バレーから離れるということだと私は考えていました。退社後はハローワークにも通いながら、『次は何をしようかな』と、けっこうフラフラしていた時期もあったんです」

 竹下にはいくつかのチームから誘いの声がかかったというが、その中でも、熱心に足を運んだのはJTマーヴェラスの関係者だったという。

「私のことが絶対に必要なんだ、ということを、本当に熱く話していただいた。それでもしばらくは、『やらないです』と断り続けていたんですけどね。本当に誰の言うことも耳に入らない状態だったんですが、そんな心の扉を徐々に開けてもらいました」

一度は引退を決意するもJTに入団し、日本代表にも復帰した photo by Sakamoto Kiyoshi一度は引退を決意するもJTに入団し、日本代表にも復帰した photo by Sakamoto Kiyoshi 当時、JTは下部リーグに所属していたこともあり、竹下の中に「ゼロからやってみようかな」という気持ちが芽生えていった。

 そんなJTとのやりとりとは別に、竹下の背中を押した電話があった。その電話の主は、かつて天才セッターとして日本代表で活躍し、現代表監督の中田久美だった。

「久美さんは、『なんでやめるの? 勝手にやめてんじゃないよ。ダメじゃん、やめたら』と、"らしい"口調で言ってくれたんです。その時は『久美さんがそんなこと言うんだ』と驚きましたが、同時に『この人はちゃんと見てくれていたんだ』と感じました。さまざまなことを言う人がいた中で、久美さんは本当に特別な人です」

 復帰を決意して2002年8月にJTに入団すると、竹下は1年目にしてチームを1部昇格に導いた。翌年には日本代表に復帰し、ワールドカップで最優秀敢闘賞を受賞。そして2004年、アテネ五輪の出場をかけて再び最終予選に臨むことになった。

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