2021.03.07

大友愛がシングルマザー時に悩んだバレーと子育てのバランス「これが正解!はない」

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

――そして2010年に日本代表にも復帰し、同年の世界選手権では32年ぶりのメダルとなる、銅メダルを獲得しました。

「その大会はよく覚えています。眞鍋さんがミーティングで、『世界バレーでメダルを取る』と言ったんですが、私は正直、無理だろうと思いました。『海外の強豪チームには勝てない』と、当たり前のように考えてしまっていたので。でも、データを重視するバレーに切り替えて、結果は銅メダル。そこでチーム全体に、『私たちもメダルが取れるんだ』と意識が生まれました。それがロンドン五輪につながったと思います」

――ただ、大友さんはオリンピックの少し前に大ケガをしましたよね。

「2011年9月のアジア選手権で、右膝の前十字靭帯と内側側副靭帯をバツッと。人生初の大ケガでした。その時期、5キロくらい体重を落としたので動きが速くなり、オリンピックに向けて『最高の状態だ!』と思っていた時のケガだったので、すごくショックでしたね。ケガした瞬間は、テンさんに後ろからポンと蹴られたと思って振り返ったら、テンさんは遠くにいたので『あれ?』と。カクンと倒れただけで問題ないかとも思ったんですが、すぐに病院に運ばれました」

――そこから状態を戻すのは、相当大変だったんじゃないでしょうか。

「靭帯は動かさないと硬くなってしまうとのことで、次の日には装具をつけて走っていました。リハビリも、泣きながら毎日やりましたね。そのあとに手術をしたあとは激痛で、『もうバレーはできないかもしれない』とも思いました」