2021.03.07

大友愛が明かす全日本離脱の真相。面談でも監督に「あなたとはやれません」

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

――それでも、2004年には代表に戻りましたが、どんな心境の変化があったんですか?

「その年に亡くなったおじいちゃんが、私が代表を辞退したあとの大会を見て『なんで愛は出てないんだ?』とすごく寂しがっていたことを、後日おばあちゃんから聞いたんです。それまで自分のことしか考えていませんでしたが、おじいちゃん、母も同時期に亡くなって、私を応援してくれていた人に申し訳ないことをしたと思うようになり、『(2004年度の代表に)招集されたら、気持ちを切り替えて頑張ろう』となったんです」

――代表に戻った時、柳本監督とはどんなやりとりをしたんですか?

「柳本さんには、『すみませんでした。自分が子供すぎました』と真っ先に謝りました。そうしたら『また頑張ろう』と言ってもらえて、練習では毎日のように『愛ちゃん、今日は機嫌いいか?』と、冗談交じりに機嫌をうかがってきました(笑)。私も『今のところは大丈夫です』と返せるくらいの関係になりましたね。ただ、主将のトモさん(吉原知子)は厳しかったです」

――どういった対応だったんですか?

「自分勝手に代表から離れて戻ってきた私が、チームの緊張感を乱さないよう、あえて距離を置いていました。当時、トモさんと何人かの選手は朝5時半ぐらいからアップを始めて、6時ぐらいからスパイクを打っていました。その朝練に参加したくて、私が『一緒に打たせてください』と頼んでも、トモさんは『人数は足りているから入らないで』と。なので私はボール拾いや、空気入れなど練習の手伝いをして、次の日になったらまたお願いをする、という毎日でした。

 そうして2週間くらい経ったあとですかね。トモさんが『ユウ(大"友"の愛称)の本気がわかった。明日から入っていいよ』と言ってくれました。あとから、『中途半端な気持ちで代表に戻ってきたなら認めなかった。でも、毎日誰よりも早く来て準備したり、そういう姿から本気が伝わったよ』と、しっかり理由を説明してくれたんです」

――そのあと、吉原さんとの関係はどうなったんでしょうか。

「すごく仲良くなりました。練習が終わったあと、トモさんと同年代のセッターの辻知恵さんも含めた3人で合宿所のテレビがある部屋に集まって、コーヒーを飲みながら1日の反省会をしていました。ふたりとも偉大な先輩ですが、いろいろ腹を割って話せる"お姉さん"みたいな存在でしたね」