バレーの佐藤あり紗、今は選手兼監督。地元のCM、交通安全広報大使などでも奮闘中

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

――そして日立で2年プレーしたあと、2018年に仙台に戻り、新チーム「リガーレ仙台」の立ち上げメンバーになります。その経緯を教えていただけますか?

「移籍を考えていた仙台ベルフィーユがなくなってしまった時に、あらためてバレーボールを通して自分には何ができるのか、何がしたいのかと考え、『やっぱり仙台でやりたい』という結論に至りました。そして地元に戻ってきて、(母校の)古川学園の岡崎典生先生に『地元でバレー教室、バレースクールといったやりたい活動をして、それが恩返しに繋がればいいなと思い、帰ってきました』と伝えたら、Vリーグ加入を目標にした新しいチームができることを教えてもらって。関係者の方と話をして、バレーはもちろん、私個人の活動もやっていいということになり、創設に関わらせていただきました。

 今はチームでバレー教室などもやっていて、宮城県を中心に競技を知るきっかけを作る活動をしています。私はバレー以外にも、みやぎ交通安全広報大使をやらせてもらったり、地元のCMに出たり、県内外の方々に興味を持ってもらって足を運んでもらえたらなあという思いで、宮城県の観光地や飲食店を自身のSNSで発信したりしています(笑)

――最初は選手としての所属だったと思いますが、2019-20シーズンから「選手兼任監督」と立場が変わりましたね。

「前の監督がチームから離れる際に、チームの代表で社長である遠藤健三さんから監督の話をいただきました。最初は断っていましたが、その場合は他の選手が競技をやめて監督に専念する形になりそうだったので、それなら私がやろうと。それまで監督になろうと考えたことはなかったのですが、『監督という立場からもいろいろ学べたら』と思って、引き受けることに決めました。それが、2018年の9月でしたね。

 実際は、私は監督の資格を取ろうとしている最中です。2020年度の試験がコロナ禍で中止になり、来年度のVリーグに間に合わなそうなので、登録上は資格を持っている方に監督に就いてもらい、私が指揮を執る、といった複雑な形になっています」

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