バレーの佐藤あり紗、今は選手兼監督。地元のCM、交通安全広報大使などでも奮闘中

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

リオ五輪代表のリベロ
佐藤あり紗インタビュー 後編 前編はこちら>>

 リオ五輪で女子バレー日本代表のリベロとして活躍した佐藤あり紗は、帰国後にプロ契約を結び、地元・仙台に活動の場を移すことになる。お世話になった人たちへの「恩返し」として、新チームの立ち上げに関わり、選手兼監督としてVリーグ参入を目指した3年間について聞いた。

「リガーレ仙台」の選手兼監督を務める、元日本代表の佐藤あり紗 photo by Matsunaga Koki「リガーレ仙台」の選手兼監督を務める、元日本代表の佐藤あり紗 photo by Matsunaga Koki――リオ五輪が終わったあと、所属の日立リヴァーレでプロ契約に変更しますが、それはどんな理由があったのでしょうか。

「リオ五輪から戻ってきて、地元の仙台ベルフィーユ(財政上の理由で2017年6月にVリーグから脱退)というチームへの移籍を考えていたのですが、当時はまだ移籍がそれほど自由ではなくて、同意書にハンコを押してもらうのが難しく(移籍元のチームの同意書が得られない場合は、規約上1年間はリーグの試合に出場できない)......。

 オリンピックが終わっていろいろ反省があるのに、移籍したら1年間出られないのは厳しかった。そのため2016年に、プロ契約という形に変更したんです。契約の内容は、『私が移籍を申し出た際には移籍を認めてもらう』というものでした」

――プロになる時にはどんな覚悟をしましたか?

「移籍をしやすくすることが一番だったので、『プロになったらこうしよう』といった具体的なことは、その時は考えていませんでした。実際にプロになってからは、何ができるかをいろんな方に相談して、自分のキャリアをブランディングするきっかけになりました」

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