47歳で現役トップ選手かつ実業家。西村晃一がビーチバレーに捧げる情熱 (2ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

インドアでは日本代表のリベロとして活躍 photo by Nakazaki Takeshiインドアでは日本代表のリベロとして活躍 photo by Nakazaki Takeshi 2002年、同じくインドア日本代表の"顔"だった朝日健太郎と共にビーチバレーに転向し、大きな話題を呼んだ。

 西村はすぐに企業と大きな契約を結び、同時に日本で初めてのプロビーチバレーの法人「ビーチウィンズ(現WINDS)」を設立。パートナーの朝日や、NECレッドロケッツからビーチバレーに転向した浦田聖子など4名の選手を抱え、全員の給与やワールドツアーの遠征費などをすべて負担した。自らの貯金や契約金を切り崩してチームを運営する時期もあったが、積極的にスポンサー獲得に動き、十分な資金を得られるようになった。

「最初はスポンサーさんに"おんぶにだっこ"でした。だけど、それではいけないと試行錯誤し、自社の商品開発に携わったり、その販路を広げたりしてきました。結果、スポンサー費より多くの利益をもたらすことができるようになり、チームも軌道に乗って、2000年代後半のリーマンショックなども乗り越えることができたんです」

 元日本代表の木村沙織の夫としても知られる、日高裕次郎もその環境のもとでプレーしたひとりだ。日高は2009年にインドアから転向してフリーで活動していたが、2012年にロンドン五輪の代表決定戦に惜しくも敗れたのちにWINDSに所属(2014年にインドアに復帰)。一時は西村とペアを組んで国際大会でも好成績を残した。

「本当にそれまでとは環境が違いました。練習場所があるのはもちろん、海外で合宿をさせてもらったり、世界中を遠征したり。ビーチバレーは経済的に厳しい選手も多い中、競技に集中できる恵まれた環境を作れることはすごいと思います」(日高)

 西村が日高とのペアで国内ツアー優勝を重ねていた2013年9月、東京五輪の開催が決定した。筆者が、当時40歳の西村に取材した際には「オリンピックはもちろんですが、アメリカのプロツアーでの優勝などほかの夢もある」と話していた。2015年にはその言葉どおり、アメリカ人選手とペアを組み、日本人として初めて米国ツアー(AVP)に参戦して優勝。アジア国枠が取れずに出場は叶わなかったものの、リオ五輪の日本代表候補にも選出された。

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