不妊治療、心臓手術、怒らない大会...美女バレーボーラー益子直美の引退後 (3ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

――実際に引っ越してみていかがでしたか?

「すごくよかったです。友達と気軽にお酒を飲んだりすることはできなくなりましたが、変な"しがらみ"もなくなった。不妊治療の最中は、いつでも病院に行けるように仕事を抑えていたんですが、自分のペースで再開しました。

 3年前には心臓の手術(心房細動)をして、より『無理したくない』と思うようになりましたね。事務所の社長もその考えを理解してくれて、仕事量を調整していただいています。心臓の手術をした後には、イトーヨーカドー時代の後輩だった"マッチョ(益子と共に美女バレー選手として人気だった斎藤真由美の愛称)"が久しぶりに連絡をくれて、会いにきてくれました。本当にかわいい後輩ですし、今後は彼女とも何かできたらいいですね」

同時期に美女選手として人気だった齋藤真由美(右)と表紙を飾った益子(左) (『バレーボールマガジン』提供)同時期に美女選手として人気だった齋藤真由美(右)と表紙を飾った益子(左) (『バレーボールマガジン』提供)――2015年から、監督が怒らない「益子直美カップ」という、小学生のバレーボール大会を福岡で主催していますね。

「引退してから、バレーに関する仕事はなんとなく避けてきたんですけど、何かしらの形でバレーに関わる人たちを『応援したい』という気持ちはあったんです。そこで2006年にゲイの方たちのための大会を開催しました。現在よりもLGBTの方への理解は進んでいませんでしたが、真剣に練習しているのに、その方たちには目指す大会がなかったので。東京を中心に開催していたのが話題になり、台湾やシンガポールなどからも選手が来るようになりました。

 その大会が10年目を終えた後に、『小学生の大会をやってほしい』という話があったんです。それで福岡での大会開催を進める際に、参加するチームの監督たちに伝えた特別ルールが、『選手を怒ってはいけない』でした」

――そのルールを設けた理由は?

「小学生を指導する現場を見る機会が何度かあったんですが、指導が厳しい現場が多く、見ていて心が苦しかったんです。私は、小学生の段階では『うまくなりたい』という気持ちを大切にすることが大事だと思っています。勝敗を競う大会はいっぱいあるけど、そうではない『楽しむ場所』を作りたかったんです」

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