不妊治療、心臓手術、怒らない大会...美女バレーボーラー益子直美の引退後 (2ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

 とにかく業界で生き残るために必死でした。私は選手としてオリンピックに出場できなかったんですが、それでプライドがなかったからというのも大きいでしょうね。テレビ局のスタッフさんが、例えば中田久美さんになら『頼みづらい』と躊躇しそうなことも、私だったら『ハイ、やります!』と言えますから」

――中田久美さんは日本代表で共に戦ったこともある先輩ですね。現在は女子バレー日本代表の監督を務めていますが、タレント時代には共演がありましたか?

「旅番組で共演したことをよく覚えています。『駅弁の旅』みたいな番組で、芸能界では私が先輩でしたから、お弁当の紹介などを『私がやります!』と意気込んでいたんです。おかずをひとつずつカメラに向けて説明し、『じゃあ食べましょう。本当に美味しそうですね!』と話を振ったら、『早く食べな!』と言われて(笑)。『はい!』と背筋がピーンと伸びました。すごく久美さんらしくて、大爆笑でしたよ」

――2006年に結婚した時には、相手が12歳年下のプロの自転車ロードレーサー・山本雅道さんで、「年の差婚」が話題になりました。

「2002年に主人に取材をした時、向こうから声をかけてくれたんです。彼は当時、活動拠点だったイタリアから日本に帰ってきたばかりで、『女性には声をかけなきゃ失礼』という感じだったらしいんですけど(笑)。私はそういうのに慣れていなかったので、すごく嬉しくなってしまって。最初は、ひと回り年下だとはわかりませんでしたけどね」

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――その4年後に結婚してから、不妊治療に取り組んだそうですが。

「結婚した時が40歳で、治療を始めたのは42歳からです。『私が45歳になるまで続けよう』と2人で決めました。結果、子どもを授かることはできず、45歳の誕生日に治療に関するものを全部捨てて、当時住んでいた東京から神奈川の湘南のほうに引っ越しました。東京にいるとすぐに病院に行けてしまうし、『主人に内緒で治療を続けようか』という考えも頭をよぎってしまったので」

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