春高→全日本で国民的ヒロインに。
だが益子直美は「試合が怖かった」

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

――当時の益子さんはどんな選手でしたか?

「ミスをしないように、怒られないように、チャレンジをしない選手でした。高校までは怒られてばかりで、自分の意志を伝えることはほぼ皆無。当時の指導としては珍しくなかったと思いますが、とにかく先生に言われたことをそのままやっていました」

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――高校卒業後、イトーヨーカドーに入社してからは変わりましたか?

「イトーヨーカドーのバレー部に入ると、一転して『自主性』『楽しむ』ように言われたんですが、まったく意味がわかりませんでした。それまでは上から指示されたことをこなしていればよかったのに、『自分で考えないといけないの?』と。体は大きくても、心は成長していない"子ども"のまま社会人になってしまったんです。

 笑顔でプレーするなんて想像したこともなかったですから、楽しくやってみようと思うとふざけすぎてしまう。『スポーツを楽しむってどういうこと?』と悩むことが多く、逆につらかった。『早く引退したい』という思いが強くなり、結局はやめるまでバレーボールを楽しむことはできませんでした」

日立戦で大林素子のブロックを避けてスパイクを放つイトーヨーカドーの益子 (『バレーボールマガジン』提供)日立戦で大林素子のブロックを避けてスパイクを放つイトーヨーカドーの益子 (『バレーボールマガジン』提供)――それで、25歳で引退という決断をするわけですね。

「本当は、もっと早く引退しようと思っていたんです。当時の私には、『名門の日立を破って日本一になる』という目標がありました。それを果たしたら区切りがつく。つまり『引退するために優勝しよう』と思って立てた目標でした。それを変えることは絶対にしませんでしたが、当時の私は試合が怖くてしょうがなかったんです」

――しかし引退の2年前、益子さんの入社5年目に、イトーヨーカドーは日立を破って優勝していますよね?

「その優勝から間もなく、監督に『引退したい』と伝えたんですが......。その時は全日本に選ばれていて、『会社としても行ってほしい』と説得されて現役を続けることになりました。翌年は連覇できなかったんですけど、やはり監督に『やめます』と言ったら、『若手が育っていないから』と引き止められて......。その次の年にようやく認めてもらえて、逃げるようにやめました。最後の2年はもがいていましたね」

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