2020.06.16

西田有志が母に怒られて凹んだ日。
「一番の挫折を味わった瞬間」

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

スーパーエース・西田有志 
がむしゃらバレーボールLIFE(3)
第1回>> 第2回>>

高校時代の秘蔵フォト集>> 中学時代の秘蔵フォト>>

 現在のバレーボール男子代表で、大きな期待と注目を集めている20歳の西田有志。そのバレー人生を辿る連載の第3回は、海星高校時代に全国を目指す中で、西田が「一番の挫折」と口にした瞬間を振り返る。

***

高校2年時に練習を掛け持ちしていたクラブチームで、全国大会優勝を果たした西田 (写真提供/ヴィアテイン三重) 2015年4月、西田は中学時代に練習に参加していた海星高校(三重県・四日市市)に入学した。バレー部ではすぐに試合に出て、さっそく4月に行なわれた三重県高等学校春季バレーボール大会の準優勝に貢献した。

 当時の海星高校の監督は、中学時代にクラブチーム「NFO オーシャンスター」で西田を指導した大西正展。大西は自らが勧誘した西田について、「将来、上のレベルでプレーするには、セッターかリベロだろう」と考えていた。高校入学時の西田の身長は180cm。まだ身長が伸びる可能性もあったが、バレーボール選手としては決して高くない。大西は今のようにVリーグ、国際大会に通用するアタッカーに成長するとは思っていなかったという。

 将来的なポジションの変更を大西が考えたのは、西田のサーブレシーブのうまさを知っていたこともある。左利きの西田は右からのほうが打ちやすいこともあり、ポジションはセッター対角の「オポジット」だった。いわゆる"攻撃専門"のポジションだが、大西は西田をサーブレシーブに入らせ、守備の要にもしたのだ。