2020.06.09

生後5カ月から始まった西田有志の
バレーボール人生。母の言葉で覚醒

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

小学校6年時の西田(写真提供/西田の母・美保さん) 有り余る元気を大安ビートルの練習に注いだ西田は、小学校2年生の頃から試合に出場するようになり、3年生でレギュラーになった。ポジションはライト。左利きを活かすポジションだ。

 その夏、初めて日本代表を意識する出来事があった。男子チームが16年ぶりに五輪出場を決めた、2008年の北京五輪。西田は初めて見るオリンピックの試合に夢中になった。とくに、自分と同じ左利きのオポジット、清水邦広に眼が吸い寄せられた。当時の代表最年少の21歳で奮闘する若きエースの姿を見て、「僕も清水さんみたいになって、オリンピックに出る!」と、家族に宣言したという。

 大きな目標ができた西田は成長し、4年時には第29回全日本バレーボール小学生大会三重県大会で優勝。全国大会にも出場した。学年を上げるごとに、県内で屈指の強豪チームの主力選手になっていったが、5年生から6年生に上がる時に行なわれた新人戦グループ戦の試合で思わぬ苦戦を強いられる。

 西田のスパイクが何度もブロックされ、つい弱気になってフェイントで逃げることがあった。それは難なくレシーブされて得点を許し、チームも波に乗れず敗戦した。

 その試合後、美保さんは西田に対して「点を取る役割のお前が、できもしない逃げのフェイントをしてどうするの!」と厳しい声をかけた。さすがに西田も落ち込んだが、「どんな時でも、自分が打って決められるようになればいいんだ」と決意し、より練習に励むようになった。