2020.06.09

生後5カ月から始まった西田有志の
バレーボール人生。母の言葉で覚醒

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

 兄と一緒のコートに立つ願いが叶ったあとも、大安ビートルで週3回の練習に参加した。西田本人は、「やりたかったというよりは、バレーボールをすることが普通という感じでした」と振り返る。チームのマスコット的な存在で、何をしても褒められるため、楽しくて仕方がなかったという。

 西田の両親は、共に実業団のバスケットボール選手だった。にもかかわらず、子供たちをバレーのチームに入れた理由について、母の美保さんは次のように話す。

「最初はやはりバスケをやらせたいと思ってチームを探しましたが、指導方針が合うチームが見つけられなかったんです。(元選手の)私たちが口出しをしてしまってもよくないから、『ほかのスポーツをやらせよう』ということになって。それで大安ジュニアと大安ビートルを見学させてもらったら、『勝つ』ことより、『挨拶をする』『靴を揃える』といった礼儀などを先に教えてくれるところでした。このチームなら安心して子どもたちを預けられる。私も夫もそう納得したんです」

 もし、両親が納得するバスケットボールチームがあったら......今ごろ西田は、バスケ選手として世界を驚かせていたかもしれない。

 続けて美保さんは、当時の西田について「やんちゃ坊主でしたよ」と目を細めた。

「クリクリ頭で、そこらじゅうを駆け回っていました。私が仕事で家を空ける時には有志を近所の方に預けていたのですが、『有志くんが田んぼの中を走り回ってる!』など、しょっちゅう電話がかかってきましたね(笑)。いつも『叱ってやってください』とお願いしていました」