男子バレーを弱いままで終わらせない。清水邦広が誓う東京五輪での雪辱 (3ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 浦川一憲●写真 photo by Urakawa Ikken

――不安を抱えながら、決勝までプレーを続けましたね。元JTサンダーズの越川優選手のラストゲームにもなったその決勝は、特に素晴らしい試合になりました。

「ずっと前から、僕は『見ている人たちに、何かを伝えられるような試合をしよう』と心がけています。決勝は、両チームとも気持ちが前面に出ていました。最後に勝てなかった悔しさはありますが、その試合を見ていたファンには何かを感じ取ってもらえたんじゃないかと思います」

――その後の全日本でも活躍が期待されていましたが......。

「正直、黒鷲旗のときのように制限をかければ、ケガを悪化させずに全日本でも戦えたかもしれません。でも、それは怖かった。日の丸を背負うと無理をしてしまったかもしれないし、そうなったら選手生命に関わりますからね。それで後悔するなら、しっかりリハビリをして復帰しようと思ったんです。

 振り返れば、初めて全日本に選出されてから今まで、全日本やリーグの試合に出続けていたので、体づくりやリハビリのための時間がほとんどありませんでした。そのツケで、肩、足首、膝など、いろんなところに痛みを抱えていた。だから、全日本から離れている間にどれだけ回復できるかを、周りのトレーナーやスタッフに相談しながらやってきました」

――リハビリの過程ではビーチバレーもされたようですが。

「足首の強化と体づくりを重点的にやっていたんですが、足首に負担をかけないよう3カ月ほどスパイクを打つのをやめたら、感覚が鈍ってしまって。昨年12月から4月までまったく打てなかったことも影響していたでしょうね。それが、足元が砂なら負担が和らぐということで、先生からも『ビーチバレーだったらスパイクを打っていい』と許可が出たんです。リハビリやトレーニングと並行してビーチバレーをやっていくなかで、純粋に『バレーを楽しむ』という感覚も取り戻すことができました。『ああ、バレーボールって楽しいな』って」

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