2度目のセリエAに挑戦中!石川祐希が語る「イタリアでの日々」 (4ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari  坂本 清●写真 photo by Sakamoto Kiyoshi

――こちらに来てから、昨日の試合までずっと故障で出場ができませんでした。ケガはいつしたのですか?

石川 インカレの時です。準決勝くらいからですね。やる気がいつも以上に入っていたので、少し無理をしたのかもしれません。決勝戦の東海大戦が、一番パフォーマンスは高かったと思います。

――決勝戦は、石川選手ひとりで37得点でした。見ていても、石川選手の活躍がなければ、東海大が勝っていた試合だったと思います。

石川 (東海大のミドルブロッカーでU-23のチームメイトの)小野寺(太志)とメールしたんですけど、準決勝までのビデオを見て(自分を)研究したらしいんですが、「見たビデオと全然違っていた!」って言っていました。自分でも、あの時はそれまでの試合とは違ったレベルのパフォーマンスができたと思います。

――イタリアに来てから、ケガで試合はもちろん、サーブやスパイク練習もできない状況が続いて、正直しんどい思いをしたのでは?

石川 まあそうですね。しんどくなかったといえば、嘘になります。こっちに来て「(ケガは)大丈夫かな?」と思ってやったら、やっぱりダメで。最初の練習では、まだそんなに痛くなくて、「ちょっとやってみろ」って言われたんですけど、途中で痛くなって、そう報告したら、「やめろ」って言われて、エコーを撮ってみたら、ケガがわかったんです。箇所については、チームから口止めされているので言えないんですけど、OQT(オリンピック世界最終予選)でやったケガの再発ではありません。

 こちらでは故障者に対してかなり慎重な扱いで、エコーを撮って完璧に治ってなかったら、試合はもちろんですけど、ジャンプする練習さえもやらせてもらえないので、先週まで、ずっとサーブ練習もスパイク練習もできませんでした。でも、その間はイタリア語の勉強もしっかりできましたし、治療に通ったり、ケアをするときもチームメイトに送ってもらったりしたので、コミュニケーションはとれましたね。しっかり治して、これからアピールできればいいかなと思っています。

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