退任した女子バレー眞鍋元監督が語りつくす「2度の五輪と今後の日本」 (6ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari



―― Vリーグの男子選手の中で、ほぼ初めてと言っていい海外リーグへの挑戦もされましたし、帰ってきてからも松下電器(現パナソニック)、旭化成でプロ契約選手として現役を続けられました。

眞鍋 新日鐵の監督兼任選手の時に、外国人選手を監督としてスカウトしようとしたら、会社から「逆に眞鍋が海外でプロとしてやればいい」と何度も勧めてもらいました。ただ、当時は終身雇用が当たり前の世界でしたから。

 そして、監督を6年間やって、そろそろ退こうと思い始めた頃、海外でプレーをするという夢が現実味を帯びてきました。年齢的にも最後の挑戦、「プロとしてプレーするなら、これが最後のチャンスだ」と、36歳でプロ契約を決心しました。

 でも、家族は新日鐵を退社し、海外でプロ契約をすることに大反対しました。当然ですよね、幼い子供が3人もいるのに、60歳まで安定が約束されている新日鐵という大企業を退社するなんて。でも、36歳の自分に世界のビッククラブからオファーが来た。最後のチャンスと家族を説得しました。そして、イタリアでプレーしたことで、バレーボールに対する意識も変わり、その後のバレー人生にも大きく影響しました。

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