【バレー】90年代のカリスマ「ガイチ」は沈む全日本を立て直せるか (3ページ目)

  • 中西美雁●文・写真 text & photo by Nakanishi Mikari

 筆者の印象でも、現役時代の彼は常にピリピリしていて、決して取材しやすい対象ではなかった。カメラマンが飛行機の延着で予定していた取材時間に間に合わなかったとき、「他の選手だったら、『不可抗力だから待っててね』で済むけど、ガイチでしょ。もう肝を冷やしたよ」と首をすくめていた。

 堺の監督に就任したばかりの頃、ゲーム形式での練習中、二段トスが上がって「ここで打て!」と選手に指示したのにも関わらず、スパイクがネットを越えないのを見て、ポカーンとしていたのを覚えている。選手を馬鹿にしているというわけではなく、「なぜこんな簡単なことができないのか、本当に分からない」という表情だった。"名選手"ならではの指導の難しさである。

 それでも、筑波大に一般入試で合格したクレバーさで、そのあたりは着実に克服していった。JOCの海外研修から帰国後、全日本のコーチ時代は、タイムアウトになると、選手たちは植田辰哉監督ではなく中垣内コーチの元に集まった。それだけ人望があったし、指示も適切だったのだ。

 3年間、社業に励むなかでも、堺のホームゲームだけは見に行っていた。また、取材されたのをきっかけに、昨年のワールドカップから世界のバレーを再び見るようになった。大会期間中に、中垣内から「私の予想は間違っていた! この全日本はいいじゃないか」という言葉を聞いた。それはVリーグの他チームをよく見ていなかったからであり、現在の全日本のレベルを把握できていないがゆえのコメントであろう。もちろん監督の目線で試合を見ていたとも思えない。

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