【男子バレー】清水邦広「一番に思い出すのは、全日本の坂道ダッシュ」 (3ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 村上庄吾●写真 photo by Murakami Shogo

――高校は、北京五輪代表主将だった荻野正二(現サントリーアドバイザー)さんと同じ強豪校の福井工大福井高校に進んだわけですが、ここでもやはりスパルタでしたか? 荻野さんに聞くとすごく厳しかったそうですが。

清水 いや、高校は全く自由な雰囲気でした。自分たちで考えて、自分たちで責任を持ってやるという感じで。水ももちろん好きなときに飲めました(笑)。当然、試合に負けたあとは長時間練習をやったりもしましたが、それは選手も、納得してやっていたことですし、つらいとは思いませんでしたね。むしろ、やらなきゃ駄目だろうと。
(恩師である)堀(豊)先生も時代が変わって丸くなられたのだと思います。でも、中学の時と同じくらい厳しい環境だったら、そこで燃え尽きちゃったんじゃないかなと思うので、緩急がついて良かったですね。

――では、一番つらかった夏は中学時代の部活になりますか?

清水 中学時代と、もう一つは全日本に入ってからの合宿ですね。植田辰哉監督(2005年~2012年全日本監督)の頃に、北海道の芦別でやったんですけど、100メートルくらいの坂道をダッシュするんですよ。10本セットで。もうヘトヘトで頭が真っ白になりましたね。ハードすぎて吐いている人もいましたから。

――有名な「植田坂」ですね。

清水 そうっす。当時、自分はまだ最年少組だったのですけど、何がすごいって荻野さんや山本(隆弘・元パナソニック)さんといった年齢が上の人も、全く同じメニューをやっていたんですよね。坂道ダッシュも、筋トレも。ボールを触らずにトレーニングとダッシュばっかりやっていて、本当にきつかった。自分が全日本の中でも年齢上がってきて、つくづくあの人たちはすごかったなと思いますね。今、あれをやれって言われたら?......できればやりたくないっすね。

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