【バレー】佐野優子が現役引退。世界一のリベロが残したもの (3ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 坂本清●写真 photo by Sakamoto Kiyoshi

 佐野はここでオリンピックをあきらめることをせず、海外リーグでの道を選んだ。フランスの強豪・RCカンヌへの移籍。離日前に聞いていた、リベロは自分一人という条件と異なり、もう一人のリベロがいた。ここで負けるわけにはいかない。佐野は移動のバスのなかでもフランス語の辞書と格闘し、チームメイトの信頼を得てポジションを勝ち取った。2シーズン目のチャンピオンズリーグでは、ベストリベロ賞を受賞している。

 北京五輪のメンバーに選ばれたあとも、佐野は海外でプレイすることをやめなかった。

「バレー人生で一番思い出に残っているのはもちろん、ロンドン五輪の銅メダルなんですけど、他は? と言われたら、やっぱり社会人生活の約半分を海外リーグでプレイしたことですね。海外の選手の高くて強いスパイクやサーブを日常的に受けることで、技術もメンタルも保ってこられました。
(海外に)行った人の話を聞くだけとか、チームに1人だけ外国人がいて(いっしょにプレイした)、というのではどうしても得られないものだと思うんですね。若い日本の選手には、これからもどんどん海外のリーグに挑戦して欲しいです。(全日本男子の)石川祐希くんのモデナ留学も、すごく得られるものが多かったと思いますよ。海外でのプレイが、今の自分を作ったのだと思います」

 ロンドン五輪後は1年1年を区切りながら過ごしてきた。身体に故障などはないが、モチベーションを100%保って次のシーズンをプレイできるかと考えたときに、ここで終わろうと決めた。

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