【バレー】創部84年目の初優勝へ。JT栗生澤GMのチーム掌握術 (2ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 木村正史●写真 photo by Kimura Masashi

――GM(部長)就任前後からしばらく成績は低迷していましたが。

「正直どうしようかと思い悩むことが多かったです。自分がバレー一筋でやってきたことが視野を狭めたり。もう、誰が見ても当たり前のことをしっかりやるしかない。スカウトも必死に行なったつもりでしたが、低迷しているチームには、私の話術も含め、説得力は感じられなかったのでしょう」

――昨年は準優勝でしたが、ヴコヴィッチ監督の招聘と越川選手の獲得は大きかったですね。

「監督を選ぶときに、なんでもかんでも条件を並べて求めていましたが、昨年はいったん棚上げした。もう、とにかく強くしてくれればいいと。

 これまでは余計な事を求め過ぎてたんですよ。企業スポーツを理解してくれてとか、泥臭く粘って、伝統のレシーブを元に戻して攻撃力を増してとか。結局チームを一新しないと、どうしようもないところまで求めていた。これはいかんと。とにかく常勝チームにしてほしいということに絞りました。監督選定については、ハルクバンクの映像も見ましたし、現地にも視察に行きました。

 JTにとっての初めての外国人監督は99年のパルシン氏で、低迷していたチームを引き上げ、3回準優勝してます。その時に思ったのが、なぜ外国人監督が来たら、ある一定の成績を出すのだろうと。スキル部分だけじゃないものがあるんじゃないかってね。

 ヴコヴィッチ監督も、最初はネットで探したり、情報をもらったりしていたんですけど、"人となり"っていうのは絶対会わないと解らない。知っている人だと安心感だとか、妥協が出るかもしれないけど、全く知らない人との初対面はすごく緊張感がある。

 選手が監督を迎え入れたときも、『あの人知ってるから大丈夫』とかが一切ない。そういうスキルでない、人間的な部分ってすごく効果があるんだろうなと。たぶん、それがパルシン監督のときにもあったのではないかと思います。

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