錦織圭も認めたリアル「テニスの王子様」は、空手でも全国制覇した実力者だった (2ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 自身の性格を「逃げ癖がある」と分析する堀江だが、そのキャリアを振り返れば、むしろ困難の多い道を選んできた感がある。「華やか」の言葉に見せた拒絶反応も、そんな足跡ゆえだろう。

 負けを勝利に昇華するため選んだテニスは、結果的に彼を"世界"へと羽ばたかせた。15歳時に国内のジュニア大会を制し、以降はグランドスラム・ジュニアなど海外大会の常連となる。

 同時に、日出高等学校(現・目黒日本大学高等学校)のスポーツ・芸能コースに進んだ堀江は、芸能界への関心と意欲も高めていった。

 ジュニア時代はテニスとの両立はできなかったものの、堀江の意向を知る友人たちは「亨をバズらせよう!」と、SNSで"草の根プロモーション活動"をしてくれたという。

 錦織圭も、"二足の草鞋"を目指す堀江の背を押してくれたひとり。

「有明コロシアムで行なわれた表彰式に錦織さんと同席して、話す機会があったんです。その時に容姿をほめてもらって。『モデルとかやってるの? やったらいいのに、モデルっぽくてかっこいいもん』って言ってもらえました」

 既成概念にとらわれぬ錦織の自然体な佇まいは、堀江の視野を広げる契機にもなった。

 高校卒業を控えた堀江の眼前には、複数の選択肢があった。その彼が大学進学を選んだひとつの契機が、ジュニア時代最後の全米オープン・ジュニアだ。

 この大会での堀江は、現在プロで活躍する清水悠太とダブルスを組み、決勝へと勝ち上がる。一進一退の攻防となった決勝戦では、マッチポイントも手にした。さらにはこの局面で、力なく浮いた相手の返球が、堀江の目の前に飛んでくる。

「これで決まった!」

 日本ペアを応援する人々が、歓喜の瞬間に備えて腰を浮かせる。

 だが......堀江が放ったボレーは、ベースラインを越えていった。

 その後も試合は競ったものの、栄冠は相手の手に。照明の光に浮かぶ深夜のコートで、堀江たちは悔しさにうな垂れた。

 あれから4年経った今、堀江は「やっぱり準備が足りていなかったのかなと思って。そこは今も後悔するんです」と振り返る。

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