「第5のグランドスラム」で日本人ペアが快挙。世界屈指の強豪に成長 (3ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • photo by AFLO

「グランドスラムに自分が出るなんて、全然イメージできない」と言っていた青山のキャリアが、大きく加速したのが2013年。ウインブルドン・ダブルスでベスト4に進出し、以降はツアーの上位進出常連となった。

 ただ、「グランドスラム優勝」を目標に掲げる彼女には、ここ数年の結果やパフォーマンスは、満足いくものではなかったかもしれない。固定パートナーがいないことも、頂点を狙ううえではやはりマイナス材料だ。

 そんな折に出会ったアメリカ育ちの日本人は、青山にとっても新たな可能性の扉だった。

 素直でポジティブな若い柴原は、何事も吸収が早い。なにより、日本語で密にコミュニケーションを取り、試合中にも進化する感覚は、海外のパートナーとでは得られなかった充実感だ。

 初めて組んだサンノゼ大会後は、ふたりでスケジュールを確認しあい、同年9月からペアを組もうと約束する。そこから4大会後に初タイトルを掴むと、続くモスクワ大会でも優勝。翌年2月には早くもツアー3勝目を手にする。青山が同じパートナーとともに3度以上優勝するのは、初めてのことだった。

◆石井琢朗の娘と久保竜彦の娘がテニス・ダブルスでコンビを組んでいた>>

 プレー面で言えば、上背に恵まれた柴原は、カリフォルニア仕込みのキックサーブとスマッシュが得意。一方、154cmの青山は、低い姿勢でネット際を端から端まで走り、身体ごとボールに飛びつくようなボレーを武器とする。

 その青山の姿を目の当たりにしながら、柴原は「自分も速く動くイメージを作り、マネしている」と言った。青山が柴原の可能性を押し広げ、柴原は青山に足りない上のスペースをカバーする。テニスの特性的にも相性のいいふたりは、あの時、あの一点で、最もお互いを必要とするタイミングで遭遇した。

 マイアミ・オープン優勝後の会見では、「子どもの頃から出たいと思っていた大会で、優勝できたのはスペシャル!」と声を弾ませる柴原の横で、青山は「まだ信じられない」と、つぶやくように言った。

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