錦織圭も西岡良仁も出場せず。非常事態で露わになったデビスカップの意義 (6ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • photo by AFLO


 テニス選手の主戦場が、巨額の賞金と毎週変動するランキングにより構築されるツアーとなった現在、アマチュアリズムを残すデビスカップの在リ方や位置づけが変容したのは、世界的な現象である。しかも昨年、デビスカップ・ファイナルが一都市集結のワールドカップ型になったことにより、その歴史的価値や権威が薄れたと嘆く声も多く上がった。

 日本の岩渕聡監督も、「私の頃にはデビスカップが一番大きい大会だったが、今の選手はグランドスラムで上位を狙える。そこの難しさはあります」と、レベルが上がったが故の選手たちの葛藤をおもんぱかる。ただ、そのなかでも「試合前の緊張感や負けた時の悔しさに、選手たちの変わらぬデビスカップへの想いを感じる」と言葉を続けた。

 変わるものと、変わらぬもの----。非常事態だからこそ明確になったそれらの要素を、いかに扱い、何を最優先していくのか?

 その舵取りが課題として浮かび上がった、今回のデビスカップだった。

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