全豪で明確化。「大坂なおみ世代」がメインストリームとなった (3ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • photo by AFLO

「娘は5、6歳の頃のほうが今よりも有名だった」と父親が明かすほどに、ケニンは地元フロリダでは幼少期から将来を嘱望される存在だった。

 小柄ながら繊細なタッチで多彩なショットを操るセンスは、ひと目見たコーチを「まるでマルチナ・ヒンギス(スイス)のようだ」と魅了したという。6歳の時には地元のテニス誌の表紙を飾り、トッププロとの交流も持ってきた。

 そんな娘の未来に、崩壊間近のソビエト連邦を逃れてアメリカに渡った両親......とりわけ父親は、自らの夢も投影する。

 学業はホームスクールでまかない、コーチとして娘を連れて、フロリダを中心に国内のジュニア大会を転戦した。その頃に毎週のように顔を合わせ、しのぎを削った同世代のひとりが、ハイチ系アメリカ人の父親と日本人の母親を持つ、セリーナに憧れた少女......すなわち、大坂なおみである。

 この当時にケニンが抱いた大坂評は、「サーブとフォアのパワーがすごい子」。一方の大坂はケニンを、「私より年下で、私よりも強い子」として見ていた。ならばケニンが、2度までグランドスラムでトロフィーを掲げる大坂を見て、自分の可能性を強く信じたのも当然だろう。

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