平成の終わりに大坂なおみが実現した日本テニス界の「途方もない夢」

  • 神 仁司●文・写真 text&photo by Ko Hitoshi

無料会員限定記事

平成スポーツ名場面PLAYBACK~マイ・ベストシーン 
【2018年9月 USオープン優勝】

 歓喜、驚愕、落胆、失意、怒号、狂乱、感動......。いいことも悪いことも、さまざまな出来事があった平成のスポーツシーン。数多くの勝負、戦いを見てきたライター、ジャーナリストが、いまも強烈に印象に残っている名場面を振り返る――。

少し緊張した面持ちで優勝カップを手にする大坂なおみ少し緊張した面持ちで優勝カップを手にする大坂なおみ 日本テニス界にとって、シングルスでグランドスラムチャンピオンを輩出することは長年の大いなる夢だった。一方で、途方もない夢とも思われていた。

 それは、長年テニスを追いかけて来た者としても同様だった。自分が取材活動している間に、一度でいいからシングルスで日本人グランドスラムチャンピオンが誕生する瞬間に立ち会いたい、そんな思いがずっと心の中にあった。

 2014年USオープン、当時24歳の錦織圭が日本人で初めてシングルスで準優勝した時、本当によくやってくれたという思いと同時に、今度はいつこんな瞬間を取材できるのだろうか、次のチャンスがいつ来るのだろうか、という少し複雑な思いもあった。

 そして巡ってきた夢の実現は、彗星のごとく現れた女子選手によってもたらされた――。

 大坂なおみを初めて取材した時の衝撃は今でも忘れられない。

 当時まだ16歳だった大坂は、2014年5月にツアー下部のITF岐阜大会に出場して1回戦で尾崎里紗に敗れた。とにかく大坂は粗いテニスでミスが多かったものの、そのサーブの速さに度肝を抜かれた。日本女子テニス選手で、時速200kmに達する高速サーブを打てる選手がいたことに驚き、今までの日本選手にはないスケールの大きさを感じた。

 2015年のITF岐阜大会では、大坂は17歳で準優勝を成し遂げた。まだミスは多かったが、この1年で得意のフォアハンドストロークと大きな武器であるサーブはさらによくなっていた。

 当時彼女は、聞き取るのがやっとくらいのか細い声で、こう目標を掲げていた。

「グランドスラムで優勝したい。世界ナンバーワンになりたい」

 一つひとつ言葉を選んで慎重に話す彼女からは、インテリジェンスも感じられた。

 そして、成長スピードをさらに上げた大坂は、2016年にWTAツアーでブレークして、世界への階段を力強く登り始めた。この頃になると、いずれ大坂はグランドスラムチャンピオンになるだろうと確信を持つことができた。

1 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る