大ケガを経てツアー初Vの西岡良仁。励まし続けた母の万感の想い (3ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • photo by AFLO

 ケガでコートから離れている間、西岡は多くの「新しいこと」を体験した。

 ずっと行きたかったライブにも行った。日本の夏祭りも堪能したし、乗馬やパドルボートなどにもトライした。

 それでも......「いろいろとやったけれど、テニスが一番」と西岡は言ったという。

「ケガしたことで、いいこともあった......」

 復帰できたからこそだとわかりつつも、今は素直にそう思えると、母は言った。

 パソコンの画面の向こうで、優勝し喜ぶ息子の姿が、1年半前の手術直後の記憶へと重なる。

 まだ足を動かすことができず、ベッドに横たわっている姿――。

 この子は、また戻ってこられるのだろうか? 胸をふさぐ不安を振り払うように、「大丈夫だよ。お母さんなんて、もっとひどかったんだから」と声をかけた。

 だが、そんな自分に向かい、「『大丈夫』という言葉に伴う責任を、あなたはどこまで取れるの?」と問う心の声が聞こえる。もし復帰できなかったときに、「大丈夫って言ったじゃないか!?」と息子に糾弾されたら、どうすればいいのか? そんな不安を抱えながらも、激励の言葉しか持たなかった。

 同時に思い出されるのは、この1年半の間にサポートしてくれた、多くの人々の顔である。

 マイアミでケガをしたとき、移動の手段も含め、すぐにサポート体制を築いてくれた方々。

 帰国した直後に診察を受けた3人のドクター、そして、診察結果を見てリハビリプランを素早く立ててくれたJISS(国立スポーツ科学センター)の人々。

「良仁くんの部屋は、いろんな音楽がかかってて楽しいね」と笑顔で応対してくれた、看護師の方たち。地道なリハビリを指導してくれた理学療法士、SNSで応援メッセージをくれたファンの方たち......。

「表には出てこない、公(おおやけ)にならない、いろんな人々」の姿が脳裏を巡り、そうしてふたたびベッドに横たわる1年半前の息子の姿が、目の前のモニターのなかで喜ぶ姿へと重なった。

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