デ杯、東京五輪。テニス日本代表のカギはこの「ダブルス戦士」が握る (3ページ目)

  • 神 仁司●文・写真 text & photo by Ko Hitoshi

 マクラクランはカリフォルニア大学のバークレー校を2014年5月に卒業してプロになり、その後はしばらく連絡を取り合うことはなかった。だが、昨年に突然、マクラクランから連絡があった。

 マクラクランは嶋田にこう伝えた。

「約3年前からダブルスに集中していて、ダブルスプレーヤーとしてこれからも頑張りたい。日本人としてプレーしたい、日本代表としてプレーすることに興味がある」

 ふたりのメールのやり取りが続くなか、2017年4月に嶋田コーチがアメリカから日本へ引っ越してきた時、ちょうどマクラクランもニュージーランドから日本に来ていた(大阪に祖母が住んでいる)。タイミングが合ったので、ナショナルトレーニングセンターに3日間来てもらい、一緒に練習することになった。

「ベンのテニスを見たら、いい感じで、人柄もすごく良かった。他の選手の話でも、『ベン君はいい人』だって。いきなり日本チームに入ってきたら、人によってはなんで? となる。だから、選手たちの評判が良かったのは安心材料でした」

 当時マクラクランは、日本とニュージーランドの両方の国籍を持っていたため(現在は日本国籍)、嶋田コーチは国籍やパスポートなど、岩渕聡監督や高田充ナショナルコーチ、日本テニス協会の植田実氏と相談しながら話を進めた。

 同時に、ITF(国際テニス連盟)ともコミュニケーションをとって、マクラクランが、まず日本でプレーできるかどうか、可能ならばいつからできるのか、手紙を書いたり、さまざまな手続きをした。ただ、噺はそんな簡単ではなかった。最近はプロテニス選手が安易に国籍を変えることが多い背景もあったからだ。

3 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る