「勝てていたかも」。20年前、伊達公子は女王グラフを追い詰めた (4ページ目)

  • 長田渚左●文 text by Osada Nagisa photo by TISCH(takahashi office) 小菅孝●ヘア&メイク hair&make-up by Kosuge Takashi 西尾妹子●スタイリング styling by Nishio Maiko

――例えば?

「96年のアトランタ五輪でアランチャ・サンチェス(スペイン)と対戦しました。猛暑での長い試合でした。私も彼女もお互いにフラフラで、足の痙攣(けいれん)も始まっていました。彼女も同じでした。

  結局、私はファイナルセット8-6で負けたんです。その後、偶然にもロッカールームで会ったので『足が痙攣して(互いに)しんどかったね』と声をかける と、『別になんともない、痙攣なんてしてない』と素知らぬ顔で返されました。ラテン系で、どちらかといえばオープンな性格の彼女ですら、そんな調子ですか らね」

――90年代と今では、何か変化を感じますか?

「決定的に違いがあると思うのは、電子通信機器ですかね。あの頃はパソコンも携帯電話もなかったので、皆とつながって情報交換ができなかった。ブログで自らを発信することもなかったですから。

  一人ひとり、特にトップ選手は自分の殻の中に閉じこもっているのが当たり前でした。海外に出てしまうと、日本とのつながりを持つのも難しかったです。今の 選手はフェイスブックやツイッターなどで、自分をアピールするのも上手です。スポーツにエージェントが関わるのも、当時の日本では抵抗がありましたから ね。今の時代で、目も合わせず、挨拶も交わさないのはシャラポワぐらいですから(笑)」

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