錦織圭の父が語る「絶対王者・ジョコビッチ超え」に必要なもの (4ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki   photo by AFLO

 試合後に錦織は、「打たないほうがいいのか、打ったほうがいいのか、なかなかわからなかった」と、攻撃的に行くべきか、あるいはミスを減らすことを重視すべきか、その判断をしかねたのだと困惑した表情で言った。その悔いと歯がゆさの入り混じった面持ちは、今回のみならず、ここ最近ジョコビッチと対戦した後にいつも見せる顔でもある。

 いや、錦織だけではない......。ジョコビッチに敗れた者がこのように悄然とした表情を見せる姿を、今まで幾度も目撃してきた。

 たとえば、2011年・全米オープン準決勝のジョコビッチ対ロジャー・フェデラー(スイス)戦。自らのサービスゲームでふたつのマッチポイントを手にしたフェデラーは、ジョコビッチに信じがたいリターンエースを叩き込まれ、それを機に崩れ去っている。

「どうして今、自分が敗者としてここにいるのか、わからない」

 試合後にフェデラーは、茫然として口にした。「僕には、あの場面であのようなギャンブル的なショットを打つことが信じられない。僕は、堅実な組み立てが報われると信じているから......」。そのときの言葉から見て取れたのは、未知で異質なものに遭遇した際の、当惑と恐怖であった。窮地にあって、イチかバチかのギャンブルに出るジョコビッチの不敵さは、フェデラーのテニス哲学とは相容れないものだったのだろう。

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