神尾米が語る「錦織圭という少年のファーストインパクト」 (4ページ目)

  • スポルティーバ●構成 text by Sportiva 真野博正●写真 photo by Mano Hiromasa

 ただ決勝は、相手が自分よりランキングが下のマリン・チリッチ(クロアチア)だったため、どういう精神状態になっているのかが気になっていました。メディアの報じられ方も、「相手の方がランキング下位だから勝てるでしょ」みたいな空気になっていたと思います。それに、今の若い子たちが可哀想なのは、スマートフォンを立ち上げれば、見たくなくても情報が入ってきてしまうこと。完全にそういった報道を遮断するのは難しかったと思います。

 そのような精神面でのプレッシャーが、決勝戦に影響したのではないでしょうか。もちろん、連戦でのフィジカル的な疲れもあったはずです。特に出だしは動きが硬く、ジョコビッチ戦のようなプレイではありませんでした。ただ、相手も最初は硬かった。錦織選手にもチャンスはありましたが、そこを逃した時に、チリッチのほうが先に乗ってしまいました。また、今大会でのチリッチはとても攻撃的で、過去に戦ってきた彼とは違ったと思います。

 それでも、今回の全米オープンでは、これまでで最高のパフォーマンスができたグランドスラムだったと思います。特にジョコビッチ戦は、彼のキャリアベストだったのではないでしょうか。

 あのパフォーマンスを今後も続けられるかどうか……、そこはまた大変なところだと思います。当然ジョコビッチたちは、これから錦織選手と戦う時に目の色を変えてくるでしょうし、研究もすごくしてくるでしょう。その中で戦っていくのは、より大変なことだと思います。

 ただ、今回の活躍を見て、今までロジャー・フェデラー(スイス)やナダルが錦織選手について語った言葉は、社交辞令でも何でもなく、本音だったのだと思いました。今大会でもフェデラーは会見で、「チリッチの決勝は驚きだけれど、圭は驚かない」と言っていましたよね。ナダルも昔からずっと、「圭はトップ10に来る」と言っていました。やっぱり、分かる人たちには分かる、感じるものがあるんだろうと思います。

 彼らトップ選手たちの錦織選手に向けられた視線、そして言葉は正しかったのだな……と改めて確信させられた、今回の全米オープンでした。

【profile】
神尾米(かみお・よね)
1971年11月22日、神奈川県横浜市生まれ。母の影響で10歳からテニスを始め、東海大学付属相模高校卒業後の1990年にプロ転向。1992年の全豪オープンを皮切りにグランドスラムで活躍。1995年にはWTAツアーランキング24位まで登りつめるが、肩の故障により1997年2月の全日本室内テニス選手権の優勝を最後に25歳の若さで引退。現在はブリヂストンスポーツのイベントで全国を回るかたわら、プロ選手やジュニアの育成に携わっている。WOWOW解説者。

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