錦織圭、トップ10入りの秘訣は「M・チャン式ドリル練習」 (2ページ目)

  • 内田暁●文 text by Uchida Akatsuki photo by Mutsu Kawamori/MUTSU PHOTOGRAFIA

 セオリーや常識に縛られず、コートに絵を描くように、あらゆる球種を変幻自在に打ち込む錦織のプレイから、その楽しみが失われている――。そう感じた時、清志さんは「トップ10」という、得体の知れぬ怪物の脅威に触れたという。そして、怪物と戦うには、その正体を知る人物の助けが必要だとも痛感した。何しろ、「トップ10」は錦織のみならず、コーチを含めたチームスタッフたちにとっても、未知の領域だったのだ。その闇を照らす水先案内人を、清志さんたちはこのころから探すようになっていた。

 複数いた候補の中から最終的にマイケル・チャンに決まったのは、3年前に有明コロシアムで行なわれたエキシビションの存在が大きかったという。この時の交流を機に、錦織はチャンと話をし、その後も時おりメールなどで情報交換をしていた。チャンの明晰な頭脳や語り口、さらには真摯な姿勢にも惹かれるものがあったのだろう。チャンの「自分も同じように、トップ10になかなか入れない時期があった」という言葉も、錦織の苦い経験と共鳴した。

 最終的に17位で終えた、2013年シーズン末――。こうして新たな師弟による、トップ10を明確に狙う戦いが始まった。

 その二人三脚は、始まりから苛烈を極めていたと、父・清志さんは述懐する。コーチ就任が決まると、さっそく錦織はチャンの地元カリフォルニアで2週間、付きっきりの指導を受けた。しかもその内容は、オフシーズンの肩慣らし......という生易しい類(たぐい)のものではない。鬼の形相で檄(げき)を飛ばす元世界ランキング2位との練習は、それこそ「特訓」の言葉が相応しい緊張感に満ちていたという。しかも、妥協を許さぬチャンは、コート内に枯葉が落ちれば神経質に拾い上げ、飛び散ったボールのフェルトがコートを覆うと、自ら用具を手にして清掃にあたった。その張りつめた空気の前では、父親ですら、声をかけるのが憚(はばか)られた。

「この時期に、こんなに追い込んで、身体は大丈夫だろうか?」

 清志さんはそんな不安を抱いたが、同時に、「ここから先には、これほどまでしなければ行けないのか......」との想いに胸を突かれた。何より、その厳しさに錦織がついていくのは、彼がトップ10を渇望し、また、チャンの指摘の正しさを確信したからでもあるだろう。

「僕は、技術面では変えるところはないと思っていたけれど、チャンに指摘され、こんなに改善できるのだと驚いた」

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