「伊達公子記念日」に振り返る、1994年・メルボルンの奇跡の裏側 (2ページ目)

  • 内田暁●文 text by Uchida Akatsuki photo by Getty Images

「ライジングショットそのものは、他の選手も打っているんです。ただ普通は、ライジングだと返すのが精いっぱい。伊達さんの凄いところは、ライジングでコーナーを狙えるところなんです」

 それこそが、彼女を「世界の伊達」として君臨せしめた最大の武器。しかも伊達は、ライジングでコーナーに打ち分けるのみならず、打つたびに前に踏み込み、相手の時間と空間を奪っていった。そのような離れ業が可能なのは、他の追随を許さぬ「読みの良さ」ゆえだと神尾氏は分析する。さらには、テークバックを極限までにコンパクトにした、独特のスイングフォームも大きな要因。今でも多くの対戦相手が「どうやってボールを打っているのか分からない」と舌を巻く、世界でも伊達だけが持つことを許された、伝家の宝刀だ。

 伊達はその宝刀で、足元のボールの処理を苦手とする大型選手達を、快刀乱麻で切り倒していった。中でも1994年にウインブルドンを制したコンチタ・マルティネス(スペイン)は、伊達を大の苦手とした。対マルチネス戦の通算成績は、伊達が6勝2敗と大きくリード。20年前の今日この日、伊達が準々決勝で破った相手も、そのマルチネスである。気温が40度近くに達する炎天下の中、伊達はマルチネスのショットの跳ね際を叩いて深く返し、相手のリズムを崩していった。それでもさすがに試合終盤は、暑さで頭は朦朧(もうろう)とし、ボールに身体が反応するだけのような状態だったという。スコアは6-2、4-6、6-3。肉体的にも、精神的にも極限状態の死闘の末、新たな歴史は築かれた。

 長年テニスを取材し、現在はテレビブロードキャスターとして活躍するカナダ人のクレイグ・ガブリエル氏は、20年前の当時の思い出として、加熱する日本の取材フィーバーを真っ先に挙げた。

「キミコが準々決勝で勝った途端に、日本からテレビ局や取材陣が大挙して押しかけてきた。プレスルーム中が、日本人のような印象を受けたよ」

 そう回想する彼の記憶に、伊達本人の印象は意外なまでに残っていない。当時の伊達は言葉数が少なく、会見でも通訳を介してコメントを残していた。それだけに、彼女の人となりに関しては、多くを知ることができなかったのだという。伊達が足に貼っていた「置き鍼(おきばり)」が、さも東洋の神秘のように地元メディアに報じられる......彼が良く覚えているのは、そのような周辺情報が主だ。

 だからこそガブリエル氏は、最近になって発見した伊達の人間性に、新鮮な驚きを覚えたという。

「今の彼女は英語で話し、とてもチャーミングで魅力的な側面を見せてくれる。それは20年前には、気がつかなかったことだった。あの当時、もっとキミコと話せば良かったと思うよ」

 異国のジャーナリストは過ぎし日を、そう言って惜しんだ。

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